(公社)地盤工学会は、日本において頻発する自然災害に対し、より安全な社会環境や住環境を築くにはどのように地盤技術を活用したらよいのか、どのように社会システムを改善していったらよいのかという課題に対して、地盤工学の技術を駆使して地盤のリスクをマネジメントすることに取り組んでいます。また、前述した学術技術の進歩への貢献、技術者の資質向上、社会への貢献の3つの目的と活動とも連結しています。
(1) リスク工学と地盤工学について
「リスク工学と地盤工学」2)は、2004年4月から9月までの間に機関紙「土と基礎」の講座として掲載されました。リスク工学という学問体系は確立されてはいませんが、リスクを純粋リスクと投機的リスクに分類することが多く、純粋リスクは、事象の生起により経済的損害のみが生じるものを取り扱い、株や為替のように損をする機会と得をするチャンスが並立するような投機的リスクは対象としないことでした。しかし、経済主体のリスクマネジメントの立場では、純粋リスクと投機的リスクを分類することには意味が無く、これらを合わせたものがリスクという考え方が一般化してきています。
また、「リスク」という言葉が幅広く、個人や業界で様々に使われ始めたことから、そのリスクをマネジメントする「リスクマネジメント(RM)」も幅広くなっており、リスク算定・リスク評価・リスク対応・リスク受容・リスクコミュニケーションなどを含むものとなっています。
2001年以降、安全分野でのリスクと広範囲なビジネス分野を考慮したリスクの大きく2つの流れが出てきました。これは、ISO/IEC Guide 51とISO/IEC Guide 73の2つです。ISO/IEC Guide 51では、リスクを「危害を発生する確率及び危害のひどさの組合せ」と定義しています。ISO/IEC Guide 73では、リスクを「事象の発生確率と事象の結果の組合せ」と定義しています。
この2つのISO/IEC Guideの51と73では、「発生確率」が重要なキーワードとなっています。つまり、リスク工学における大きな課題の一つが「リスクをどのように計量化するか」ということですが、工学の分野では、分析対象となる自然現象や工学的現象に関わるデータや情報が利用可能である場合が多いため、相対的頻度(全事象の中で、ある事象が生起する相対的な頻度)に基づいて、リスク事象の生起確率を計測することが多く行われています。そのため、リスクの計量化にあたり相対的頻度の考え方が極めて自然に導入されました。
このときには、「確率とは何か」、「いかにして確率が認識されうるのか」というような哲学的な問題が問われることは少なかったようです。
なお、社会科学の領域では、確率はそれを用いる人間の確信(belief)の程度を表現したものであると解釈することが多く行われます。この解釈を採用することにより相対的頻度が有する問題点のいくつかは解決します。物理的な相対的頻度の査定が不可能な状況下であっても、意志決定者はリスク事象の生起確率について主観的な確信を持つことが出来ます。主観的確率論の考え方を採用すれば、意志決定者は事象の特異性によって決定を妨げられることはなく、また、意志決定者によって異なった決定が下されることもありうる可能性を認めることが出来ます。
リスク工学の直接的な目的としては、まず、万が一、不幸な事象が発生したときに、起こるであろう被害を出来るだけ小さくするように準備しておくこと(リスクコントロール)です。つぎに、被害が生じたときの補償を行う方法や復旧・復興のための資金をあらかじめ用意しておくこと(リスクファイナンス)です。
一方、リスク工学が対象とする問題は、十分な情報やデータが存在するものから、主観的な確信に基づいて計量化せざるを得ないものまで幅広く存在します。
例えば、地震の発生確率がその良い例でしょう。地震調査研究推進本部が2019年2月26日に発表した「今後30年以内にM7級の地震が発生する確率90%」という場合に、不確実な世界の中で真の確率がわかっているような事象はほとんどないわけであることから、確率の信憑性を問題にするのではなく、「30年以内に東北地方太平洋側でM7の地震が起きるという説明を用いて技術的判断を行っている」ということの社会的意味の方が重要であるということになります。
地盤工学が対象とするリスク事象は、リスク工学が対象の中で、比較的データが蓄積されている範疇に入り、地震の生起確率についてもデータが蓄積されていることから「地球に小惑星が衝突する確率」と比較した場合には、はるかに信憑性の高い内容を持っています。
この段階では、「社会システムとリスク工学に関する問題が地盤工学においてどのように役立てられるのか」ということを模索していた段階であったと考えられます。
(2)地盤工学におけるリスクマネジメント
東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日M9.0)が発生し、地震・津波災害の甚大さは、地盤のリスクに対して、ハード対策だけではなく、ソフト対策も含めた総合的なリスクマネジメントの必要性を痛感したところです。
この段階に至るまでには、
①2010年に国際地盤工学会の技術委員会において法地盤工学とリスク評価とマネジメントの実際の二つが含まれたこと
②2007年からGeoriskの名称の国際論文集が季刊刊行されるようになったこと
③2010年に地質リスク学会が我が国で設立されたこと
④2009年にISO31000“Risk management-principles and guidelines”、2010年にJIS Q 31000「リスクマネジメント-原則および指針」が公開されたこと
などがあり、「地盤工学におけるリスクマネジメント」3)が2011年7月から12月まで地盤工学会誌の講座に掲載され、「地盤工学」に「リスク」、「リスクマネジメント」を積極的に取り入れることが確認されたことです。
また、リスクの概念(多様性・定義)・地盤リスク・リスクマネジメントなどについての定義や地盤工学の分野への適用についても議論を進めたものです。
a)リスクの概念
リスクという言葉は多くの分野で使われており、日常会話としても頻繁に使われています。このため、リスクは様々な意味で使われているものの、主に、以下の3つがあると考えられています。
a.その事象が顕在化すると、好ましくない影響が発生
b.その事象が顕在化した場合の影響の大きさが明らかではないという結果の不確実性
c.その事象がいつ顕在化するかが明らかではないという発生の不確定性
このうちの①は、事故や危機などを意味する場合が多く、近年は、②、③がリスクという言葉の意味合いで用いられていることが多いと考えられています。
このことを「地震動」による災害で考えてみますと、
aについて:地震が発生すると色々な被害が発生する(例えば、道路・鉄道・上下水道・電気・ガス・通信などのライフラインの被害,家・建物等の被害,地盤災害(液状化・崩壊),津波災害など)
bについて:地震が発生すると場所や構造物によって被害の程度が異なる(例えば、全壊・半壊,機能不全,使用限界・許容限界など)
cについて:地震がいつ・どこで・どのくらいの大きさで発生するかが分からない(海溝プレート境界型・内陸直下型,マグニチュード・震度など)