1.はじめに
猪苗代湖をはじめ豊かな自然を有する猪苗代町は多くの歴史に触れることのできる場所でもあります。特に会津藩の藩祖である名君 保科正之公の遺言により創建された土津神社は歴史的価値も高いほか、紅葉の名所としても有名で多くの方が足を運ばれています。
今回は地元のお客様から、土津神社の隣に有名な湧水があるよとのご紹介を頂き、土津神社の東側に鎮座する古社―磐椅神社に足を運びました(写真-1)。
2.位置について
猪苗代磐梯高原インターを出て国道115号を右折し2.0㎞ほど北上し県道7号を左折します1.5㎞ほど西に進むと緑色の「土津神社」の看板が見えますので右折します。しばらく直進し土津神社の大鳥居前を右折するとほどなく「磐椅神社」入口を示す看板が見えます。なお、車で近くまで行けますが、途中の土津堰脇の道路は車が擦れ違えるほどの幅が無いため、手前の土津神社駐車場に車を停めて散策をかねて歩いた方が良いかと思います。春先や新緑の季節など、きっと心軽やかに足を運べると思います。
3.湧水の水質について
磐椅神社の湧水は「宝の水」と呼ばれています。神社境内の右手、社務所の脇に湧水の汲み場がありとても分かりやすいと思います。次に作成したトリリニアダイヤグラムとヘキサダイヤグラムを示します(図-2、図-3)。
採水時の現地測定では、pHが7.84、電気伝導度が12.51mS/mでした。作成したトリリニアダイヤグラムは領域Ⅰにプロットされ、比較的浅い深度を流れる一般的な地下水であることが予想されます。ヘキサダイヤグラムはやや不均一な六角形を示し、HCO3−の割合が多いほかNa++K+とCl−も比較的多いようです。
周囲に温泉が点在することもあり、地表付近まで上がってきた温泉水が若干混入しているのではと想像します。
4.地質と湧出機構
湧水周辺部の地質分布図を示します(図-4)。
磐椅神社は地質図上では磐梯山の山麓部に広く分布する、火砕岩(火山から噴出したさまざまな大きさの破砕物が固まったもの)や岩屑なだれ砕屑物(山体が崩壊して堆積した土砂)の上に位置します。扇状地地形の末端に近く、磐梯山に降った雨や雪解け水が浸透、流下した伏流水が集まる場所であることが予想されます。
今回、磐椅神社の禰宜である伊東隆裕様にお話を伺うことができました。この「宝の水」は手水として使用する水を求めてボーリングをした結果、地下23m付近より自噴し以降途切れることなく湧出しているとのことです。地元のほか遠方からも湧水を汲みに数多くの方がいらっしゃるとのお話を聞き、御利益のある「宝の水」として枯れることなく涌き出るよう御神体である神々がお取り計らいくださっているイメージが湧いてきました。
5.磐椅神社の由来について
磐椅神社の歴史は古く、十世紀に成立した全国の格式ある神社の一覧「延喜式神名帳」に耶麻郡一座として記載されており、延喜式内社として信仰を集めていたそうです。応神天皇の御代(弥生時代)、神功皇后摂政五十(250)年に国土開発の神とされる大山祇神(おおやまづみのかみ)と埴山姫命(はにやまひめのみこと)を磐椅山(現在の磐梯山)の頂上に鎮座されたのが磐椅神社の起こりとなります。
磐椅神社を信仰した保科正之公は神社の保護に力を注ぎ、「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」との遺言のもと、末社として磐椅神社の西側に土津大明神(土津神社)が造営されたそうです。土津神社が保科正之公と係わりが深いことをなんとなく覚えておりましたが、このような経緯があることを初めて知りました。
また、会津磐梯山の大神として1000年以上信仰されてきた由緒ある神社ですが、戦後からほんの40年前ほど前までは荒れた境内地にひっそりと社があるだけでお正月ぐらいしか参拝者が訪れない場所だったとのことです。現在は県内外から多くの方が参拝するようになっています。
磐椅神社がどのように再建されたか追体験できる「磐椅神社再建物語」をはじめ、神社の歴史や年中行事等をより詳しく知ることができる「磐椅神社 ホームページ」が開設されていますので、ぜひ閲覧してみてください。きっと参詣したい気持ちが溢れてくると思います。
6.歴史に触れ、静謐を知る
今回、お客様から教えていただいた湧水のお話から「宝の水」、そして福島県の歴史の一部に触れる取材となりました。
奥まった森の一部に鎮座する磐椅神社は土津神社とは趣が異なりますが、歴史に触れ、静謐を知る空間がそこにありました。また、境内には会津五桜の一つである「大鹿桜」があります。今年の桜の季節(大鹿桜の開花期間は4月下旬から5月上旬)に再度訪れたいと思っております。
7.謝辞
磐椅神社 禰宜 伊東隆裕様には湧水の取材について許諾をいただき、また、由来等を教えていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
※新協地水(株)技術部