4月 久慈男体山
趣味として山登りを始めたのは40歳からだ。1999年4月,39歳のときに組織改革で営業部長になった。平成不況の真っただ中、前年並みの売上を確保することが非常に困難な社会情勢だった。ついに肉体的にも精神的にも疲労が蓄積し、休日は家でゴロゴロする典型的な中年親父になってしまった。増えていくのは、ストレス解消の飲み会そして体重と肝機能の数値。このような生活環境から脱出困難かと思われた矢先、妻が「ねぇー、気分転換に山に行こうよ!」と誘ってきた。最初は、「仕事で山に行っているし、ザックを背負って登るのなんていやだよ」と、やんわり断っていたが、度重なる誘いに根負ついに2000年7月29日㈯に安達太良山への初登山となった。
7月 尾瀬ヶ原
この日以来『登山』は私の生活の一部となった。ストレスが頂点となった時「仕事のことを一瞬でも忘れたい。そして何かに夢中になりたい」と、真剣に考えた。何かに没頭し、それまでの行動と考えをリセットする。それがまた次の大きな活力になる。その何かが私にとっては『登山』だった。ソロそして妻との二人山行が多く、休日は『とにかく山へ』というのが、現在の山行スタイルだ。春は里山の春探し、そして残雪の山へ。夏は縦走目的で目指すは高山。秋は紅葉前線とともに、北から南へ。特に尾瀬は毎年欠かさず。冬は里山を主体に陽だまりハイク、といった具合に山行を重ねている。
10月 浅草岳
2月 宇津峰山
【★半田山(標高863m)4月28日(日)快晴】
半田山は、福島県北部(桑折町)に位置し奥羽山脈の一部に属す。地質は第三紀層凝灰岩から成る。東側山体をスプーンで抉ったような特異な山容で、周辺の山からすぐに山座同定ができる。山頂からは東側の展望がよく、福島盆地を北に流れる阿武隈川そして氾濫原の低地が広がっている。低地の奥には霊山の山並みそして鹿狼山、遠く太平洋を望むことができる。さらに自然公園内の一画にはシラネアオイの群生地がある。
半田山は、江戸時代通貨調達の日本三銀鉱山として栄えた。明治中期大規模な陥没地すべりが発生し、その姿を大きく変えた。その後、山を復旧したいとの町民の想いが実り、現在は美しい『自然公園』として人々の憩いの場となっている。私もこの山の風景がお気に入りで、年に数回訪れ季節の移ろいを楽しんでいる。前日「そろそろシラネアオイが見頃だね」と話をして、新緑を満喫するため訪れることにした。今日の登山口となる南駐車場に10時20分頃に着く。シラネアオイの群生地は駐車場から近く、すでに多くのカメラマンが撮影に没頭していた。はやる気持ちを抑えながら準備をして、10時34分にスタート。すぐに群生地に向かい、シラネアオイを間近に観察する。淡い紫の美しい姿をスマホに数枚撮影し、キャンプ場中の緩やかな登山道を行く。気温は25℃で湿度が35%と乾いた空気が心地よい。雑木林に入ると新緑の美しさがさらに際立ってくる。
歳を重ねるごとに新緑の美しさに惹かれるようになった。紅葉は落葉前に葉の色が変わる現象だが、新緑は新しい命の芽吹きを直接感じることができる。日本では緑色系の伝統色として『83色』あると言われているが、光の濃淡によりさらに倍増しているようだ。何百色という緑の種類が目の前に大きく広がっている。緩やかな道は、時間をかけて風景を観る余裕を与えてくれる。道はいつしか松林となり林道と合流する。林道すぐ右側に登山口駐車場と尾根に進む登山道そして『あずまや』がある。ここから尾根伝いの登山道はこのルート唯一の本格的な登りとなる。900mの短い急登であるが100mごとに設置された標識が目標となり、一歩一歩踏みしめて前進することができる。特に残り700mから300m間がきつい。縁結びのスポットとして話題を集めている『ハートレイクビューポイント』が近いというのに、自然と相棒との距離が離れていく。この標識が見えてくると山頂は近い。道は徐々に緩やかになり、11時45分(登り始めて1時間11分)に一等三角点と小さな石の祠が三基祀られている山頂に着く。
ここまで誰とも会わなかったが山頂には2組が休息をしていた。気温はさらに上昇し霞で風景を望むのは難しいと思ったが、爽やかな風が吹きいつもの素晴らしい風景が広がっていた。ここでゆっくり休み、12時28分に北駐車場を目指し下山をする。こちら側の新緑も美しく、風景を堪能しながらの下山となる。北駐車場からは左回りで半田沼を周回し、南駐車場に戻る。翌日の朝刊には『半田山自然公園のシラネアオイ群生地が見頃』と記事が掲載された。今年も美しいシラネアオイと新緑の半田山に登ることができた。
(行動時間3時間20分・距離5.7㎞)
※新協地水(株)代表取締役