1.はじめに
地質や地盤が不確実であることによって、個人や公衆が不利益を被ることは非常に多い。この地質・地盤の不確かさの区分と原因について、(公社)地盤工学会では表-1に示すようにまとめている1)。このように地質や地盤が不確実であることの要因には、予測困難なものも含め、極めて幅広い項目が考えられる。この地質や地盤の不確実性が地質や地盤に係わる技術者の「リスク」であると考えられる。
ここでは、地質リスクマネジメントについて、主に、地質リスクと地質リスク学会の取り組みを紹介するものである。
2.地質リスクマネジメントとは
(1)リスクとは
リスクの一般的な概念としては、「リスク=危険」であり、従来から広く使われている事故や危機などは、表-2に示す意味を示すものである。また、荘子の「混沌」とも言い換えることが出来る。
さらに、リスクは、個人、家族、地域、企業、国や自治体など、その個人、集合体、組織などの主体によって異なり、その主体によってリスクに対する対応も異なるものである。
(2)リスクマネジメントとは
リスクマネジメントとは、一般的にはリスクの発生予防に努め、リスクが実際に発生した時には、被害を最小限にとどめるような活動を行うことである3)。
一方、JIS Q 31000-2010においては、リスク(risk)とは「目的に対する不確かさの影響」と定義されており、リスクマネジメント(Risk Management)とは「リスクについて、組織を指揮統制するための調整された活動」と定義されている4)。
リスクをマネジメントする方法としては、
万が一、不幸な事象が発生したときに起こるであろう被害を出来るだけ小さくするよう準備しておくこと、つまり、リスク事象の生起確率そのものを減少させる技術(リスクコントロール)
被害が生じた時の補償を行う方法や復旧・復興のための資金をあらかじめ用意しておくこと、つまり、リスク事象により生じた被害を社会全体に分散させる技術(リスクファイナンス)
の大きく2つがある。しかし、様々な分野の概念が入り込み、その捉え方も多様化しているため、その性質には以下に示す3つがある。
- その事象が顕在化すると好ましくない影響が発生する。
- その事象が顕在化した場合の影響の大きさが明らかでないという結果の不確実性がある。
- その事象がいつ顕在化するかが明らかではないという発生の不確定性がある。
このように、従来から広く使われている事故や危機などは、aの性質を持っているが、ここでいうリスクという言葉は、bおよびcの意味合いで使われることが多い。
また、リスクは、より大きなビジネスチャンスに繋がる可能性がある。リスクマネジメントの最終的な目的は、あらかじめリスクを軽減する方法を用意しておくことにより、より大きなリスクに対してチャレンジすることを可能にすることである。
地盤工学に携わる技術者にとって、リスクの防止・軽減のためにリスク工学的考え方やリスク工学的手法が重要になってくることは、阪神・淡路大震災を契機に危機管理システムの検討がなされ、リスクマネジメントシステム構築のための指針JISQ2001が制定されたことによっても理解されるものである。
図-1に危機管理とリスクマネジメントの関係を示した。リスク対応を時間軸で見た場合に、事故発生前の事前対応の期間(事前対策)から、事故に見舞われた直後の対応を行う期間(緊急時対応)、そして事故発生前の状態に戻す復旧対応までの期間(復旧対策)の全ての期間がリスクマネジメントの対応期間である。
(3)地質リスクとは
建設事業においては、かつてのような公共事業費が潤沢な時代は今後期待できない状況になっている。このため、所定の品質を確保しつついかに効率的かつ少コストの事業を行うかが大きな課題となってきている。地質リスク学会では、このような時代背景を考慮し、リスクの目的を事業コストの縮減に設定し、地質リスクを以下のように定義した5)。
(4)地質リスクマネジメントとは
私たちの生活を支えている橋・道路や建築物などの構造物、これらの安全性を十分に確保しながら効率的に建設するためには、構造物を支える地質・地盤の課題を解決する必要がある。つまり、地質・地盤の特徴を理解し、的確な計画・調査・設計・施工・維持管理を実施することが必要である。また、様々な地質・地盤の課題に適切に対応していくことは、私たちがより安全で安心な生活を経済的に営んでいく上で、必要不可欠なものである。
最近、「性能設計」や「コンストラクション・マネジメント:CM」が行われるようになってきている。このような建設の状況において、調査・設計・施工・維持管理など構造物のライフサイクル区間を通して、地質リスクとその評価からの対策技術とリスクマネジメントを図-2に示すようなイメージから判断することが必要となってくる。つまり、楽観的リスクの概念をもってこれまでの建設事業の流れがそうであったように、構想・計画・設計・工事・運用を行った場合には、工事に際してリスクが増大し、コストも増大し、さらには運用時にも多くのコストを費やすことなる。一方、悲観的リスクの概念をもって、構想段階において、リスクの洗い出し、リスクの低減検討、リスクマネジメント計画を行うことによって、その後の計画・設計・工事・運用までのトータルコストが低減できることになる。このことが「地質リスクマネジメント」6)であり、今後は、「地質技術顧問」6)や「地質リスク・エンジニア:GRE」7)がこのようなマネジメント業務を行うことになるであろう。
また、建設工事に携わる発注者・施工者および地質技術者をはじめとするすべての技術者が以下に示す要求性能、目的、方法などの情報を共有することが重要となる。
- 建設事業の地質条件をより正確に把握することによって工事コストの軽減を図る場合に、地質調査を適切に発注すべき発注者、受注した工事を遂行しながら地質条件の変化に対応すべき施工者、そして正確な地質情報を提供すべき地質技術者に着目すべき方法を提供すること
- 工事契約に際して、契約条件を明示すべき発注者、リスクを回避したい施工者、そして地質条件の明示方法を提案する地質技術者に地質条件の不確実性に伴うリスクの配分方法を提供すること(この二つの場面における設計者にとっても有効)
- 地質リスクの計量化およびリスクマネジメントの研究者、工事のプロセスマネジメントシステムの提供者、地質リスク情報システムの構築者など、地質リスクに関与する多種多様な技術者に新しい視点を提供すること
3.地質リスクマネジメントと地質リスク学会
(1)地質リスク学会としての地質リスク
地質リスク学会5)は、「新しい地質リスクマネジメントの仮設の検証・確立・普及を目指して」として2010年(平成22年)1月30日に設立された。この学会の特徴の一つは、Webサイト上に構築した“メバーチャル学会”として活動を開始したところにある。
地盤・地質の様々な不確実に起因して生じる不都合な事象に対し、地質的リスク、ジオリスク、地盤リスク、地下リスク、地山リスクなどいくつか類似な言葉が用いられているが、地質リスク学会では、「地質に係わる事業リスク」を“地質リスク”と定義し、事業コスト損失そのものとその要因の不確実性を指すとした。
(2)地質リスク学会の組織構成
地質リスク学会の組織構成を以下に示す。
会 長 渡邊 法美 (高知工科大学 教授)
副会長 小笠原正継
((国立研究開発法人)産業技術総合研究所 客員研究員)
事務局 NPO地質情報整備・活用機構
協 力 (社)全国地質調査業協会連合会
(3)地質リスク学会の設立趣旨
地質リスク学会の設立趣旨を以下に示す。
- 地質リスクマネジメントの普及のための諸々の活動の推進
- 地質リスク及び地質リスクマネジメントの効果の計量化、プロセスマネジメントシステム開発についての研究の推進
- 地質リスク関連データの収集様式及びデータの蓄積に関する研究の推進
- 地質の技術顧問(ジオドクター)制度の検討と促進
- 地質リスクマネジメントシステムの構築と事業への適用の推進
- 年次事例発表会等の開催
- 海外交流
などを行っていくことを目的としている。
(4)事業展開について
地質リスク学会の活動の一環としての事業展開を以下に示す。
- 意見交換の場の提供
- 地質リスクに関する情報提供
- 事例収集事業の展開
- 地質リスクマネジメントガイドラインの作成
- 技術顧問資格制度の検討
- 地質リスクDB構築準備室の設立構想の策定
- 地質リスク統合情報システムへの設立構想の策定
- 実証実験モデル事業等への働きかけ
- HP・パンフレットによる広報活動
- 地質リスク学会版「データ収集様式」の普及PR
- 技術顧問のケーススタディ(技術相談・ワンデイレスポンス)の実施検討
- 国内関連学会への参加・発表
- 関連書籍・雑誌への投稿
- 海外関連学会への参加・発表
- 海外研究者の招聘
- 研修会の開催
これらの事業展開のなかでWeb上で公開されている「地質リスクに関する情報」と「事例収集事業」について以下に記す。
(5)地質リスクに関する情報の提供
これまでに、地質リスクに関する情報として、以下に示す情報を提供している。
地質リスクに関する調査・研究報告書、
2006年(平成18年)3月16日
地質に係わる事業リスク検討報告書、
2005年(平成17年)
地質リスク海外調査ミッション報告書、
2007年9月30日~10月5日
「地質リスクとリスクマネージメント」シンポジウム講演集、
2008年(平成20年)3月11日
(6)事例収集事業の展開
「地質リスク」は、
①業務を始める前あるいは始めるときに気付いて回避する方策が採れる場合
②業務中~業務終了時に地質リスクが発現した場合
③業務中に地質リスクが発現したが地質リスクを最小限に回避した場合
④業務終了後の施工時・施工中に地質リスクが発現した場合
⑤施工後の構造物としての機能中(耐用年内中)に地質リスクが発現した場合
など、業務前から業務終了後までも内在するものである(図-3参照)。
業務前~業務終了後までも内在する地質リスク①~⑤について詳しく見たものが表-3である。
したがって、地質リスクがいつどのように発現するかを考え、発現した場合の回避方法を考え、また、発現しないための方策を考えて業務を遂行することがマネジメントに繋がるものである。
そこで、地質リスク学会では、建設工事に係わる地質リスクマネジメントの実例を研究発表および討論して公共工事におけるコスト縮減へ大きく貢献することを目的として、事例を収集することと事例の研究発表会を行っている。2016年度までに7回の研究発表会が行われた。
募集する地質リスクマネジメント事例の種類は、以下の4タイプである。
A型:地質リスクを回避した事例
B型:地質リスクが発現した事例
C型:発現した地質リスクを最小限に回避した事例
D型:A型、B型、C型以外の事例
このようにして、収集された事例や発表された事例は、データ・ベース化され、事例研究、分析の基礎資料として利用されている。
事例研究の利点としては、
- 種々の事例を知ることによって、地質リスク発現時の対応手段を増やし、「技術力」を向上させることができる。
- 地質リスクによる設計変更を整理しておくことによって、情報開示請求や会計検査時の説明が容易になる。
- 地質リスクマネジメントそのものがコスト縮減など事業における創意工夫のアピールになる。
などが挙げられる。
弊社の技術者は、地質リスク事例研究発表会においてこれまで3編の発表を行った。この経験から、業務遂行中にリスクの洗い出しなどの地質リスクの発現に気を配り、地質リスクマネジメントを知らず知らずのうちに実施するようになってきている。
(4) ベースラインの設定
ベースラインの設定が厳しいか緩いかによって,入札額の高低,請負者からのクレームの多寡,コスト変動量については,表-6に示すような影響が予想される。
終わりに,今回はGRE(地質リスク・エンジニア)の位置づけと業務内容,主に米国で行われている地質リスクマネジメントのGBR(ジオテクニカル・ベースライン・レポート)を紹介した。次回は,英国内外の実務者の解説書として用いられている「ジオリスクマネジメント」を紹介する。
4.あとがき
地質リスク、地質リスクマネジメントとこれらに関する地質リスク学会の取り組みについてを紹介した。
地質に関わる建設事業においては、最初に行われる調査・設計が全体の事業費を左右する場合があり、実際に地質調査を行ってきた中でそのような事例に遭遇していることも事実であり、事例の収集や地質リスク事例研究発表会においても数多くの事例がこのことを物語っている。このような活動が活発になれば、地質調査に対する期待も大きくなる可能性があり、地質調査の精度を向上させるきっかけとなることが考えられる。
また、リスクマネジメントの観点からは、地質予測の不確実性をどう扱うかという課題の解決が迫られることになる。これには、地質リスクの発現を予測すること、地質リスクが発現した場合の回避方法を提案できる技術力を培って行くことが必要となる。
そして何よりも、地質調査の重要性が、建設に携わる人たちに理解されることが期待できることになる。
次回は、「地質リスク・エンジニア(GRE:Geo Risk Engineer)」を紹介する。
< 参考資料・文献 >
1)役立つ地盤リスクの知識:(公社)地盤工学会編、丸善株式会社、2013年4月26日
2)中島秀嗣:リスク工学と地盤工学 3.リスクマネジメント、土と基礎、vol.52-5、2004年5月
3)実践リスクマネジメント[第四版]-事例に学ぶ企業リスクのすべて-:インターリスク総研編、(株)経済法令研究会、2010年10月28日
4)JIS Q 3100:2010 リスクマネジメント-原則及び指針
5)地質リスク学会ホームページ http://georisk.jp/
6)地質リスクマネジメント入門:地質リスク学会・(一社)全国地質調査業協会連合会編、(株)オーム社、2010年4月20日
7)地質リスク・エンジニア(GRE)養成講座講義テキスト集:地質リスク学会・特定非営利活動法人地質情報整備活用機構、2015年6月