1.はじめに
新協地水(株)では井戸に係わる仕事を数多く実施しておりますが、井戸調査などでご家庭の井戸を調査するとき、井戸の近くに水神様が祀られている光景を多く目にします。
生活と関わりの深い井戸という設備が、一方では神聖な対象として大事にされていることを再認識する瞬間です。
今回は、水神様として祀られており、その水位から作物の豊作凶作を占う井戸-「作見の井戸」-を相馬郡飯舘村に訪ねました(写真-1および写真-2)。
1.はじめに
新協地水(株)では井戸に係わる仕事を数多く実施しておりますが、井戸調査などでご家庭の井戸を調査するとき、井戸の近くに水神様が祀られている光景を多く目にします。
生活と関わりの深い井戸という設備が、一方では神聖な対象として大事にされていることを再認識する瞬間です。
今回は、水神様として祀られており、その水位から作物の豊作凶作を占う井戸-「作見の井戸」-を相馬郡飯舘村に訪ねました(写真-1および写真-2)。
2.位置について
本井戸は福島県相馬郡飯舘村深谷字二本木地内に位置します。中通りと浜通りをつなぐ県道12号を川俣町から南相馬市方面に向かい、「いいたて村の道の駅 までい館」を過ぎて600mほど過ぎたら左折します。
「神秘 作見之井戸入口」の石碑が見えたら、近くに車を停めて、遠くに見える鳥居を目指して進みましょう(図-1)。
3.作見の井戸の由来について
以下、現地の石碑に書かれた由来の要約です。「井戸は寛文九年(1669年)に相馬藩3代藩主相馬忠胤公の命により佐藤庄左エ門義信が当地に移住した際に設置され、その後安政六年(1859年)までの190年間使用された。
井戸の干満の差が著しく、寒の季節の水量でその年の稲作の状況の予知ができることが知られるようになり、天明の頃(1781~1789年)より作見の井戸と呼称されるようになった。
享保年間から昭和の時代まで多くの豊凶を予知しており、冬場にこの井戸を訪れる人は近郊からはもとより遠方からも毎年増加している。
「永年、地元農家の指針として貢献しており、三百有余年の永い実績を誇るこの井戸は郷土の誇りである。」
また、最後はこのように結ばれています。
「米作は絶対不可欠であり、この神秘的な井戸が荒廃放置されることは忍び難く、農家の指針として保存するため有志により作見水神として創祀奉り、後世に伝える。」
この記念碑の日付は昭和55年であり、作見水神は近年造営されたようですが、井戸自体は三百年以上の時を超え、地元周辺の稲作の標となってきたことが分かります。
4.井戸の水位と作物の豊凶占い
作物の豊凶の占いは、寒の節(小寒から立春)に井戸の水位を測定し、水位が2.25m程度で平年並み、2.20mより深いと不作、2.30mより浅いと良作になると判断するようです。
本井戸周辺の地質状況については、阿武隈山地を構成する花崗岩類の角閃石黒雲母花崗閃緑岩が分布しており、実際には花崗岩類の風化残積土である「まさ土」も存在していると考えられます。
この井戸が貯める地下水が風化部に存在する地下水か、岩盤の亀裂部を流れる地下水かは湧水部を含め石組みに隠れており確認はできません。
水位の干満が大きく、年ごとの水位変化も大きいことは、累積降水量との相関性が高い風化部の地下水を取水しているのではと感じられますが、雨が多くても水位が上昇しない時もあったようです。
まさに、神のみぞ知る事象なのかもしれませんね。
5.おわりに
今回、作物の豊凶の占いを行う井戸であり、水神様として祀られる、いわばご神体であることから採水は実施しませんでした。(井戸内部の写真だけ、撮影させて頂きました)
井戸の内部は石組みとなっており、かなり古い感じがします。地下水面を確認することができ、水面より上部の石組みが濡れていることから、水位の変動や地下水の染み出しが生じている様子が想像できます。
で、肝心の水位は?と思われるかもしれませんが、私自身が農業に携わる人間でもなく、失礼にあたると思い水位の測定も実施しませんでした。
皆様方の印象にお任せしたいと思います(一応付け加えますが、現地を訪問したのは寒が開けてからです)。
今回はその歴史や由来が明確で、作物の豊凶の占いに用いられているという珍しい井戸(地下水)をご紹介いたしました。
300年以上の歴史を積み重ね、今なお地元の人々に大切にされている「作見の井戸」も、2011年の東北地方太平洋沖地震およびそれに伴う原発事故という大変な事態を地元の人々と同じように経験しました。
飯舘村は原発事故後に計画的避難区域に指定され、避難指示が出された地域です。避難指示は一部地区を除き平成29年3月31日に解除され、現在は復興に向けたいろいろな活動が実施されています。すぐ近く、「いいたて村の道の駅 までい館」のオープンもその一環です。
「作見の井戸」は県道12号沿いに広がる田園風景を望む丘陵部に位置します。
今後の飯舘村の復興を見守ると共に、「作見の井戸」としてこれからも農作物の作柄を示す標となってくれることでしょう。
※までい:「手間暇を惜しまず」・「心を込めて」「丁寧に」・「慎ましく」・「大切に」 といった意味の方言です。
飯舘村は自立をめざす村づくりの基本理念として「までいライフ」を掲げています。