今年(平成30年)は「戊辰150周年」に当たり、会津若松市を中心として様々な記念事業が開催されています。近代日本の幕開けとなった明治維新、その中心となった新政府軍(現在NHK大河ドラマ「西郷どん」が放映中)の対極にあった会津藩そして会津の人々は、幕藩体制の終末期において大きな悲劇の渦に巻き込まれていきました。「戊辰150周年記念事業」に興味を持ち、展示施設(歴史資料の展示)周遊ラリーなどの鑑賞を通して、那須山中の大峠三斗温泉小屋付近での悲劇を知りました。田島町史によれば、「慶応4年(1868年)4月に会津藩は、新政府軍の会津侵攻を阻止するため松川街道を南下、三斗小屋を拠点に兵を配置、激戦の末8月22日会津へ敗走、翌23日に松川街道の大峠を大砲が越え、この日白虎隊が飯盛山で自刃した。」と記されています。この松川街道は、天和3年(1683年)の日光大地震により通行不能となった会津西街道の代替街道として、会津藩3代藩主松平正容が整備をしたものであり、会津西街道の再整備に伴い、次第に使われなくなっていったといいます。
三本槍岳と大倉・三倉山の交差地点に位置する大峠(松川街道)は私の大好きな裏那須と呼ばれる山域にあり、身近なところに戊辰戦争の史跡があったことに大きな驚きを感じました。今回は、多くの苦難に立ち向かいながらも未来を創造してきた会津人の思いが詰まっている松川街道と大峠という史跡に触れることを目的とし新緑の山紀行、「松川街道から鏡ヶ沼(那須山系火山の爆裂火口跡)を周遊し大峠」に至るコースを紹介します。
☆2018年6月2日(日) 快晴
梅雨入りまでカウントダウンとなっているのがうそのような快晴の下、自宅を6時12分にスタートする。国道289号線の甲子トンネルを抜け観音沼森林公園へ左折、林道大峠線の終点に整備されている駐車場を目指して走っていると、8時4分に日暮滝展望所駐車場に到着する。ここの駐車場がすでに県内外の車約20台で満車状態。何事かと進んでみると「これより2㎞先、路肩崩壊のため当面の間、通行止め」という標識とバリケードが設置してあり車両進入禁止となっていた。どうにか1台駐車できるスペースを確保して準備を進めると、相棒が顔をしかめて「ここから歩くのぉ」と尋ねてくる。「今日は、史跡探訪と新緑を巡るトレッキングだから」と答えると、なんとなく納得して、駐車場を8時18分にスタートする。この地点の標高が約1030mで、本日の最高高度が三本槍岳〜大峠稜線分岐地点で標高1862mであることから、比高は約832mとなる。日差しが強く朝露でねっとりした湿度の中、気温は11℃と涼しく、路面がアスファルトであっても軽快に歩くことができる。この時期、特徴的な虫の音「オーギィ、ギギギ」の鳴き声は、一匹が鳴くと一斉に鳴きだす習性があるエゾハルセミの鳴き声であり、一足早い夏の音を堪能することができた。
スタートしてから29分でブルーシートに覆われた土砂崩壊箇所を通過、さらに9時11分(登り始めて53分)に林道奥の駐車スペースに到着する。今回、予期していなかったアスファルトそして砂利道を約3.8㎞歩いてきたが、ここからは一里塚などの史跡が残る松川街道で石畳みの上を歩いて行く。大峠に向かって左側の斜面は地竹の自生地であり、地元の古老2名がラジオを大音響で鳴らしながら地竹取りをしていた、「熊は出没しませんか」と聞くと、「今年は、ここまで車が入れないから、どうがなぁ」と、話を聞いて若干不安に、9時28分(登り始めて1時間10分)に鏡ヶ沼分岐に着く。ここからは歩く人が少ない登山道を行くことになるため、相棒とは離れずに交互に笛を吹きながら進んでいく。
鏡ヶ沼への登山道は、最初は深い林の中の道で、しっかりと踏み固められており木々が、強い日差しを遮り大変歩きやすい。が、徐々に傾斜もきつくなり泥流堆積物特有の大石と倒木がゴロゴロした大変歩きにくい道に変化をして、辛抱の登山となる。それでも最盛期を過ぎたアカヤシオの花と、右側斜面上空に三本槍岳へと続く稜線が見渡せるようになると、傾斜は緩み草原状の道へと再び変化をする。分岐から38分で西側火口壁の小ピークを登ると、正面に三角錐の須立山と前面に満々と水を湛えた鏡ヶ沼が望めるようになる。10時11分(登り始めて1時間53分)に標高1552mの鏡ヶ沼の畔に着く。
鏡ヶ沼は、周囲約450m、深さ17.8mの爆裂火口に地下水が溜まったもので透明度が高く、水生昆虫の他クロサンショウウオやモリアオガエルが生息している。紅葉の時期も大変素晴らしいが、この季節は木々の新緑と快晴の青空が映り込み、紺碧色でとても神秘的な水面となっている。しばらく風景に見入っていると、このコースで初めてすれ違った男性に、「稜線に出る斜面はきついよぉ」と声を掛けられ、いよいよ本日のコースで最も難関となっている東側火口壁に10時13分に取りつくことに。
東側火口壁は標高差113mでU字状に抉れたガレ場の上に笹が覆いかぶさり、溝の中のロープそして木々の枝を強い腕力で掴んでよじ登らなければならない個所が大部分で、落石に注意をして慎重に進む必要がある。登り始めてすぐに、「ザッザー」と砂利が流れてくる、注意して上方を見ると、ロープを伝って慎重に斜面を下ってくる男性が、スペースを確保して待っていると順次6名が下りてくるとのこと。「ゆっくり、どうぞ〜」と声をかけ、今年初めて見るアサギマダラの見事な舞を眺めて相棒と一休みパーティが下りた後は、相棒と交互にロープそして木々を掴み、重力に逆らいながら体を押し上げ悪戦苦闘の末22分で、10時35分に標高1665mの分岐となっている東側火口壁頂部に着く。
目的地と反対方向の北側へ約400m行った須立山(標高1720m)の山頂を目指す私に対して、斜面を登り切った満足感と程よい疲れから相棒は、三本槍岳直下の鏡ヶ沼展望地を直接目指すという。須立山へ至る稜線は大変気持ちの良い風が吹いていて、単独でシャクナゲと風景を堪能しながら進み、10時46分(登り始めて2時間28分)に須立山頂に着く。山頂周辺にもシャクナゲが群生して見事な花を咲かせており、360度の大展望が大変素晴らしく、誰もいない山頂での大休止も良かったかなぁーと。が、すでに相棒は三本槍岳への稜線を進んでいるため、急ぎUターンをして相棒の後を追う。稜線から見下ろす鏡ヶ沼はキラキラ輝く宝石のような光を放ち、畔では先ほどのパーティが休憩しているのがわかる。相棒を追うことで、自分のペースを完全に崩してしまった。こんな状態での鏡ヶ沼分岐からの登りは大変きつく、さらに見上げる三本槍岳へ至る稜線はまだまだ高い、本日2回目の辛抱の時間となる。11時20分、標高1800m地点のガレ場を通過し、須立山が眼下に見下ろせる高さまで到達すると、灌木とハイマツ混じりの尾根上で、相棒が待っていてくれた。梅雨入り前とは思えぬほど、爽やかで清々しい風が吹く中、11時28分(登り始めて3時間10分)に最高高度1862mの三本槍岳〜大峠を結ぶ稜線分岐に出る。ここから見上げる三本槍岳山頂では、多くの登山者が休む場所もなく賑わっている。われわれは喧噪を避け、静かな鏡ヶ沼展望地(標高1826m)を最終目的地として、11時30分(登り始めて3時間12分)に到着する。澄んだ空気の中、ここから見る風景は、圧倒的な稜線である大倉〜三倉山を間近に、栃木県境の山々、残雪の燧ガ岳・会津駒ヶ岳、浅草・守門そして飯豊山、磐梯山と猪苗代湖など360度全方位の山々が眺望できる。この風景が激動の戊辰戦争以前からずっと変わらずあったかと思うと、感無量となる。相棒と焼きそばを作り昼食そして疲れ切った体を休め、12時29分に大休止を終え下山を開始する。下山は、大峠へ至る稜線に沿って、ゆっくりゆっくり高度を下げて行き、13時21分(下山開始52分)に標高1464mの大峠に着く。午後から日差しが強くなってきたものの、大峠からは樹林帯の中に入るため、軽快に歩くことができる。14時4分に、車両が入れない林道奥の駐車スペースを通過、さらに3.8km林道を歩いて14時46分(下山開始2時間17分)に日暮滝展望所駐車場に到着する。
【行動時間及び距離 登り3時間12分,下り2時間17分,積算距離16.9km】