今回は、趣を変え21年間の山行記録と記憶から、
忘れられない二つの山行について、掲載します。
今回は、趣を変え21年間の山行記録と記憶から、
忘れられない二つの山行について、掲載します。
1作目は、平成12年7月29日(土)安達太良山へ登った記念すべき初登山、「私は、こうして登山に夢中になった」です。趣味の登山は、私の人生を大きく変えました。私の登山の原点はと、当時の手帳に記したメモと記憶をたどりまとめました。妻にそそのかされ、いやいや登った最初の登山でした。しかし、心身ともに疲れ切って観た、山頂からの眺望は感動そのものでした。以来、趣味の登山にどっぷりはまってしまいました。
2作目は、平成29年6月18日(日)に南会津町の斎藤山の中腹で子連れ熊と遭遇し、山頂で熟年夫婦との出会った、「山で会った、熊と斎藤さん」です。熊に会った時の恐怖は、今でも体が覚えています。「熊が後ろにいるのでは」と、恐れ大声で歌い登った山頂で、素晴らしい熟年夫婦に出会うことができました。わずか半日程度の山行でしたが、動と静そして恐怖と感動を一度に体験したことは、忘れることができません。
書き終えて感じたことは「やっぱり、山登りはやめられない」
【1作目「私は、こうして登山に夢中になった」】
40歳までは、体を動かす趣味は長続きをさせることができなかった。アウトドアは好きで、家族とキャンプやスキーに夢中になった時期もあったが、子供たちの成長とともに回数が減っていった。そんな私が、今では妻があきれるほど、登山に夢中になっている。
平成11年4月、39歳の時に社内の組織改革で営業部長に昇進した。ときは、平成不況の真っただ中、前年並みの売上を確保することが難しく、肉体的にも精神的にも疲労が蓄積していった。結果、休みは家でごろごろする典型的な中年親父に変貌してしまった。
売上は増えず、ストレス解消の飲み会と体重そして肝機能の数値だけが増えていく。こんな生活から脱出は難しいかと思っていた矢先、妻が「気分転換に山に行こうよ」と誘ってきた。最初は、「疲れていやだよ」と、断っていたが度重なる誘いに、平成12年7月末、安達太良山に、ついに挑むことになった。
初めての登山に安達太良山を選んだのは、ゴンドラが利用でき山頂までの歩行時間が1時間10分という、軽い気持ちから。前日の日記には、『明日も暑くなる。あいつはひとりで張りきっている。酔った勢いで、山に登る約束をしてしまったせっかくの休み、土砂降りになれ』と、重い気持ちがつづられている。
当日は快晴、登山者には見えない作業服と安全靴、そして弁当と水しか入っていない、風呂敷のようなナップザックを背負う。夏休みの休日だけに人出は多く、小学生にも中高年の相当高い方々にもドンドン追い抜かれる始末。ようやく着いた山頂に、倒れ込む様に寝ころんだ。仰向けになり青空の中に溶け込んでいく飛行機雲とトンボの群れを、ぼっーと眺めていた。時間とともにひどく腹が減り、ザックから買ってきたうな重を取り出す。
うな重は、不安定な歩き方で上下左右に揺すられ、脂っこくて生臭い混ぜご飯になっていた。結局食べられず、妻がくれた果物を口に放り込む。水と果物で空腹が収まると、少しずつ、体中が達成感で満ちあふれてきた。
山頂から眺める吾妻・磐梯の山々、そして生活する福島の風景は眺望に優れ、また登りたいという気持ちが強くなった。当然、下山後の温泉とビールは、疲れた体全体に染み、幸せだと感じたことは言うまでもない。この日以来、登山は私の生活の一部となった。ストレスが続き頂点となった時「仕事のことを一瞬でも忘れたい。そして何かに夢中になりたい」と、思ったのが大きな理由だ。登山に没頭し、それまでの行動と考えをリセットする。リセットすることで、活力がみなぎり次の仕事に取組むことができる。
夢中になれること、それが登山だった。数日後には、次の登山を計画する私がいた。
「山に行くぞ、でもうな重は絶対に買わない」
【2作目「山であった熊と斎藤さん」】
「グォアー」と、吼える熊に立ち向った。突然の恐怖体験は、記憶として鮮明に残り、今では音や臭いに、異常に敏感になっている。それでも山頂からの眺望と、山での出会いは素晴らしく、登山は生涯やめられない。
平成29年6月、福島県南会津町の斎藤山に登った。この山で同じ日に、「登山愛が熟した高齢の夫婦」と「子連れ熊」に会った。
県内の熊は原発事故以来、汚染した山菜やキノコを採る人が減ったため、餌が豊富となったせいか、年々出没が多くなっている。
この日は、梅雨入り前なのに蒸し暑かった。斎藤山は、「森歩きと展望の山」と称され、秋には全国の「さいとうさん」が集まる山として、名前が知られている。陽ざしを遮る森林浴が気に入り、幾度となくこの時期に訪れている。いつものように林の中を歩いていると獣臭がし、右笹薮からバギッと大きな音がした。間髪入れずに、大小の黒い塊が飛び出してきた。「熊だ、それも子連れ」その距離20メートル、すくむ相棒とじっと動かずにいると、親熊が笹薮に戻っていった。「良かった」でも子熊が近づいて来る。「げっ」と思った瞬間、再び親熊が現れ仁王立ちとなり「グォアー」と、地面が揺れる勢いで吼えた。どうすることもできず、二人でストックを槍に見立て「ウォーウォー」と、立ち向った。すると、親子熊は笹薮の中に戻っていった。
へなへなと地面に座り込み、相棒が「どうする」と弱々しく聞いてきた。「もうすぐ山頂だから」後は、『森の熊さん』を喉が張り裂けんばかりの大声で輪唱し、前に進んだ。山頂直下の木陰に、老夫婦が休んでいた。「大勢さんの声がしたけど、二人かい」と、やさしく問いかけてきた。「熊がいたんで、大声で歌ってきました」と会釈をして、道を譲ってもらった。山頂で眺望を楽しみ、食事の準備をしていると、老夫婦が到着して隣に座った。話をしてみると、案外お歳を召している。
「なんでこの山に」と聞くと、「尾瀬に行ったとき、斎藤山という山があると聞いて、登ってみたいと」「もしかして斎藤さんですか」「はい、埼玉から二泊できました」と。話をしているうちに、夫84歳、妻81歳ということを知った。唐突に「仕舞の山として選びました」妻を見つめ「これが膝を悪くして、二人ではここが最後です」と、寂しそうに話す。
ジーンと目頭が熱くなり、風景がかすんでしまった。下山の時に「ご一緒させてください」と言うと、「本当にこれが最後、のんびり歩いていきます」と、これ以上大切な時間を邪魔するわけにもいかない。
以来、斎藤山には登っていない。熊は怖いけど、仕舞の山にはまだ早い。人との出会いも楽しみに、相棒と二人で歩いていきたい。