1900年の安達太良山の噴火も沼ノ平で発生したが、その近くに硫黄の工場があった(図-1)。18時頃に発生した二回目の噴火は規模が大きく、工場関係者全員が避難を開始したが、火砕サージに飲み込まれその多くの人が犠牲となった。犠牲者の中の地元猪苗代町民の割合は一割以下であった。
そのため、安達太良山の噴火の語り継ぎはあまり行われてこなかった。唯一、「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」という組織が、毎年「軽便ウォーク」というイベントを開催して、噴火災害と軽便鉄道について語り継いでいる。
安達太良山の噴火の12年前に噴火した磐梯山の場合は、地元で毎年慰霊祭を開催したり、火山博物館を作って語り継いできた。それは、磐梯山の場合、亡くなった人の約8割が地元の人であったからである。
自然災害を風化させないためには、過去に発生した災害をその発生した地域で語り継ぐことがとても重要である。同じような自然災害はまた同じ場所で発生する可能性が高いからである。安達太良山の噴火120年の際には当館では、「安達太良山の噴火」の企画展を開催し、シンポジウムや火山観察会など関連行事も行った。それがきっかけとなり、安達太良山の東側二本松市では小学校・中学校・公民館・青年会議所等に呼ばれて、多くの出前講座を開催してきている。