近年、人口減少と高齢化の問題が深刻になっています。どの産業においても後継者育成は深刻な問題です。特にバブル期に3K(危険、汚い、厳しい)と言われた建設産業はことさら大変です。しかし岩手県ではこのバブル期に高校と建設業協会とで、様々な取り組みが始まりました。それが現在も様々な形で継続され、建設産業への就職につながっています。岩手県に土木系学科は農業が2校、工業が8校ありましたが、生徒数の減少に伴い現在は農業が0.5(造園との併設)校、工業が5校、総合学科1校に1コースといった状況です。長年にわたり、農業・工業高校の進路指導を担当していた目線で感じたことをまとめました。
2.職場体験実習による企業との連携
1990年(平成2年)2度目の花巻農業高校勤務となります。岩手県には岩谷堂農林高校と花巻農業高校の2つの農業土木科があり、この2校が情報交換し連携してきたため、基本的な指導体制は同じ状況になっていました。この頃、経済バブルが始まり、北上・花巻の工業団地に多くの企業が進出してきました。生徒の求人数はうなぎ登りに増加し、進路指導室には求人のため訪れた企業担当者の行列ができる状態でした。農業土木科の就職希望者が建設業に行かず、待遇の良い誘致企業に流れる傾向が半数以上におよび、学科としての存続が問われる状況が出てきました。そこで、職場体験実習を3年生で3日間実施することにしました。実際に職場を体験した上で改めて進路を見直す機会を作りました。建設業協会花巻支部にお願いし、卒業生のいる企業を中心に2〜3名お願いしてみました。
当時3Kといわれた建設業を体験し、建設業離れになるか不安の中での実施でした。しかし結果は意外なものでした。建設関係を希望する生徒が増加したのです。その理由の多くは卒業生の先輩たちが誇りを持って仕事をしている姿を目にしたためでした。各企業の対応も親切で、後継者を育てようと熱心に指導してくれました。さらに、このような事業を通して学校と建設業協会との対話ができる機会が増え、学校で両者の情報交換を行うことができました。これにより企業が学校に抱いている課題と学校が企業に対する要望や卒業生からの情報をお互いに腹を割って話し合いすることができました。その結果、これまで知らなかった企業の本音が聞けると同時に、学校の教育方針を多くの企業に知っていただき、求人数の増加につながりました。また生徒達も、就職先選択にあたり、会社の規模・給料や待遇だけで無く、企業の雰囲気・特徴を含めて選ぶようになりました。卒業後市民ランナーなどのスポーツを続けたい生徒を企業がサポートすることもありました。学校と企業が情報交換することにより、予想以上の効果が現れました。教育関係者はどうしても枠の中の常識にとらわれやすく、「井の中の蛙」になりがちであり、「学校の常識、世間の非常識」と言われる所以です。それを排除し後継者育成のために何ができるか、それぞれの枠を乗り越えて話し合うことはお互いに有益です。
3.農業高校の取り組みから県全体へ(農業高校と工業高校の情報交流)
1998年(平成10年)ころ、岩谷堂農林高校と花巻農業高校の農業土木科で実施していた職場体験実習が文科省のインターンシップ事業に基づき、県内すべての工業高校で実施することになり、建設系学科は建設業協会の支援を仰ぐことになりました。この過程で先行していた農業高校側の実施例やノウハウを工業高側へ提供しました。同じ建設系学科で競い合ってはいますが、お互いの利点を認め合っている事が農業高校と工業高校と普段の交流が役立つことになりました。背景には人事交流もあります。現在は各校とも2年生が3日間決められた企業で体験実習をしています。実習に際し、各企業で働く卒業生が後輩の面倒をよく見てくれる事が好影響をもたらし、進路指導の大きな力となっています。この実習は就職する生徒ばかりで無く、進学する生徒や建設業以外に就職する生徒にも、働くことを実感することができ、有効です。
4.企業による学習支援
(1)学校での建設機械試乗体験
それまで建設業協会は後継者養成のため小中学校で建設機械の試乗体験を実施してきました。試乗体験を経験した中学生に、建設系学科受験者が増加するという一定の成果がありました。この試乗体験を高校生まで実施してもらうことになり、学校では実習出来ない建設機械の試乗体験は生徒の興味や関心を引き出し、土木施工技術者試験(後に2級土木施工管理技術者試験学科試験に格上げになる)受験の大きな力になりました。
現在はドローンやIT技術、アスファルト舗装など学校では体験できない実習や橋梁の破損箇所を検査し報告書を提出するなど企業や県の土木事務所と共同で実施する事業が当たり前に行われるようになりました。生徒の学習意欲を高めるために非常に効果的活動です。
(2)測量競技大会
企業の職員と生徒で班を構成し測量技術の精度と速さを競う競技を行いました。建設業協会は賞品まで用意してくださいました。レベルでの高低差を測る競技でしたが、生徒と企業の方がふれあう良い交流会になりました。これらのことで生徒が建設業へ抱くイメージが良くなってくれるのが狙いでした。
(3)2級土木施工管理技士学科試験への援助
以前、土木施工技術者試験というものがありました。2級土木施工管理技士試験受験の際、一部学科免除になるという試験があり、指定学科の高校3年生が受験できました。各県に試験場があり、ある程度の成果を上げました。この頃から、岩手県建設業協会からテキストなど参考資料の支援を請け負い、生徒の合格率も高いものでした。2006年(平成18年)制度が変わり、2級土木施工管理技士試験の学科試験に3年生が受験可能と改善されましたが、一方では受験申請書(有料)の取り寄せや願書(住民票、受験料を含む)の提出が年度末の3月に集中し、かなり戸惑ったことを覚えています。また、受験地が県内から仙台へ変わったことで交通費が嵩み、学校の大きな負担となりました。
資格取得に向けての学校の受験対策は、県内の土木系学科で同じような日程で取り組まれています。1年生は入学と同時に6月まで電卓検定の指導、2〜3年生は5月まで測量士、測量士補試験の受験対策、3年生だけ7月から10月まで2級土木施工管理技士の受験対策、公務員希望者は6月から9月まで対策を行っています。8月末、就職希望の3年生は応募書類作成や面接試験の練習、そして9月に就職試験を受けます。これらの指導は専門科目授業時間を利用しているので、かなり変則的です。
さて、2級土木施工管理技士学科試験に話を戻します。生徒や学校にとっては大きな負担となる受験制度の変更に対し、県の建設業協会からはすべての関連学科へ無償で受験テキストの提供、講師の派遣、さらに受験場所、仙台までの交通費の負担など、他では考えられない手厚い援助が行われました。この時期、岩手県の建設業界は工事量が減少し厳しい状況にあり、新卒の卒業生を採用できない状況にも関わらず実施されました。学校としては言い尽くせない感謝の気持ちでした。
このような取り組みの中で2級土木施工管理技術者試験(学科)の合格率は県内全部の関係学科が9割5分以上合格、受験者全員合格した学校も増えました。この数字は全国的にも高いものです。
(4)高校と建設業協会交流のきっかけ
高校と地元の業界が情報交換などの交流を持つことになったのは1990年(平成2年)バブルの時期以降です。以前は卒業生を通じて、個別の企業との繋がりはありましたが、業界と学校といった繋がりはありませんでした。前述した生徒の職場体験を通じて、地区の建設業界から岩手県建設業協会と各学校の担当者が一堂に集まり、お互いの顔を見ながら話し合いも行われました。この様な背景があって、互いの信頼関係の基に、現在の支援体制に繋がったものと考えています。更に、生徒の進路選択も中央の大手企業から地方の企業へ目を向け、それぞれの特性を考えるなどにも良い影響を及ぼしました。
職業高校の建設系学科の生徒であっても、入学時から将来の目的を明確に持つ生徒は少なく、不本意入学の生徒も多いのが現状です。社会人講師の派遣や教材の提供などの支援をいただくことで、生徒の授業に役立てられたことで、資格を取得でき、将来の職業に明確な自信を持つことにつながったものと考えられます。
建設業に興味を持たせるために、職場体験以外にも1年生から現場見学を行ったり、卒業生による体験講話などを開催しました。建設業に対する興味関心を持たせることは、教育課程の中で大きなウエイトを占めていました。学力とは別に、将来への目標が明確な生徒は、伸び伸びと学校生活を送り、卒業後も活躍が目立ちます。多少学力が低くても、目的意識がはっきりした生徒が伸びる確率が高いです。知識が多いことよりも、志を高めることが教育において大切なことと考えます。その意味では、直に建設業を体験し、仕事の重要さを知ることは、各種資格取得への原動力となります。学校と建設業協会の連携は大きな成果を上げたのです。
5.建設業協会への女性の進出促進
1981年(昭和56年)初めて農業土木科に女子生徒が入学し、私は3年間担任を務めました。この頃はまだ、女性がトンネルの工事現場へは入れないなど、閉鎖的でした。全体的に建設関係が少ない時期でもありました。この卒業生は測量士補に合格したこともあり、東京の測量会社へ就職しました。1990年代になると少ないながら女子生徒が1人、2人と入学してくるようになり、岩手県職員高卒女性技術職第1号を担った方や現場代理人を続けている方、岩手大学工学部に進学した卒業生などめざましい成果を上げています。また大型ダンプカーの女性運転手も目立ってきたのもこの頃でした。その後、トンネル現場に女性が当たり前に入れるように環境も整備されはじめました。その頃、花巻市石鳥谷町に岩手瀝青工業㈱の系列会社として「友愛」という女性だけのアスファルト舗装会社がありました。必要な機械を操作し、施工する専門集団として注目を浴びました。女性が工事現場で働くためには様々な課題があったようですが、トイレと洗面所を兼ねた専用車を造り、現場近くの駐車場に設置する等、ローラーを操作するため筋力トレーニング室を設けるなど、女性ならではの斬新な工夫に驚きました。花巻農業高校からも農業土木科以外の女生徒がオペレーターとして働いていました。
しかし、この会社はバブル崩壊後の建設不況で倒産してしまいましたが、周辺に与えた影響はかなりありました。他の建設会社にも現場事務所での写真の整理や文書作成などで採用された女生徒達が出てきました。花巻市には普通科や商業科の学校が5校ほどありましたが、建設業への就職はほとんどなかったようです。なぜ農業高校の女生徒が建設業に就職したかという背景には進路指導もありますが、普段から作業着で実習し、働くことに違和感がなかった等が大きいと思われます。また、学校に農業土木科があったことも進路指導に影響をもたらしたと考えます。学校の進路指導部に一人でも、建設業に理解のある教員がいることはとても重要であると思います。2007年(平成19年)盛岡工業高校と盛岡商業高校との連携事業として、商業の生徒に物づくりの観点から工業各科の教員が出向いて講義する催しがありました。商業高校の進路先である金融関係の企業が高卒採用から大卒採用へ転換し始めたときでした。盛岡商業高校は、大学進学を中心とした学校に変わると話題になりました。このとき建設業界は建設業経理事務士の資格を取れる社員を求めていました。工業より女子生徒の多い、商業高校はうってつけですが、関心は薄いものでした。
6.小中学校へのアプローチ
次回詳しく述べますが、義務教育における職業指導は非常に脆弱なものです。特に中学校における職業教育力低下は目に余るものがあります。前回も触れましたが、中学校における科目「技術・家庭」の授業時間数の減少は、物づくりに関する生徒の興味関心を著しく低下させていると思われます。1960年代、我々が義務教育を受けた時代は、高度経済成長と共に生産活動が活発化していました。電化製品を始め、多くのものが造られ、身近に中小企業や職人が働いている現場を目にすることが出来た時代でした。中学校の技術の時間には、椅子やラジオをはじめ、バイクのエンジン分解組立、乗用車の運転まで豊富な体験ができました。それに伴い、電動カンナや旋盤などの工作機械やスパナやタップ・ダイスなどの工具を学ぶことができました。このことは、大学で研究用実験設備を造るときに外注する事なく自作でき、大いに役立つとともに、装置作成アイディアの源になりました。これらの体験から工業高校へ進路選択した同級生もいました。まだ、偏差値だけで高校の進路先を決める時代ではありませんでした。
約25年前、中学校技術科の教員が、中学生の物づくりの道具への認知度調査をしたことがありました。当時は現在より倍以上の授業時間数もあり、発電の仕組みや、金工、木工などきちんと行われていた時代でした。ただし、製図器や木工道具は個人所有ではなくなっていました。その結果、家庭でほとんど見られなくなった木工(金づち、のこぎり、バール、ノミなど)・金工(スパナ、レンチ、ヤスリなど)の道具は中学校の授業で初めて知った生徒が圧倒的でした。つまり中学校で体験しなければほとんど知らないということです。現在の工業高校では機械科でちりとり製作など、中学校の教材からスタートしなければならない状況です。このような環境下にあって、中学生が将来就きたい職業を考えるには情報が少なく困難なのは当然です。そこで、農業・工業高校や建設業界から小中学校へのアプローチ例を紹介します。
(1)生徒募集のため
農業・工業高校教員の中学校訪問
応募者が少ない学校か公立高校といえども企業努力をしなければなりません。各学科の職員が直接中学校に出向き、進路指導担当者(3学年担当)に学科の特徴や進路先を説明します。岩手県の場合、6年で教員は転勤対象です。説明する側もされる側も数年たてば転勤という問題があり、あまり効果的ではありませんでした。
(2)体験入学
夏休みの始まる7月下旬、ほとんどの職業高校は体験入学を行っています。特別メニューで1日に2学科程度体験する催しです。本当は、普段の授業を見て欲しいものの、日程の都合上まとめて行っています。過去に、ここにしか入れないと言って不本意入学した生徒もいましたが、そのような悲劇を無くし、希望を持って入学していただきたいです。希望を持って入学した生徒は伸び率が高く、社会人となり、しっかり自立しています。
(3)出前体験
バブル期の頃、岩手県建設業協会青年部が中心となり、県内各地の小中学校に建設機械を持ち込み、試乗体験を行いました。体験した生徒の反応はよく、体験した生徒達の建設系学科への入学におよぼした影響は大きいものでした。しかし、同一校で毎年実施することが出来ず、隔年の実施となってしまいました。この事業は現在も継続しており、地道な努力に感謝します。
(4)出前授業
2010年頃、工業高校生が小学校へ出向き、測量等の地図を造る技術をわかりやすく実演し、生徒の興味関心を高めるための出前授業が実施され始めました。これは、小学生に役立つ事はもとより、出向いた高校生にも大いに役立ちました。自分が学んでいることに自信を深めると共に、人に教える喜びを味わうことが出来ます。新型コロナウイルス感染予防の観点から、このような催しが出来なくなっているのが残念です。ここまで述べた事例は、義務教育の中でいかに物づくりの大切さを伝えるか、職業高校と建設業界のよる活動でしたが、本来は義務教育学校自らが問題意識を持ってほしいです。現在の中学校は将来の目標はともかく、有名進学校をめざした学力向上と有名スポーツ選手をめざした部活動に特化しているように感じます。退職後地元の中学校で、地図の歴史と作り方、周辺地形とハザードマップの見方など特別授業を行っていますが、生徒達の反応は大変良好です。中学校は文科省の教育課程に基づいて全国一律の内容を指導しています。郷土の歴史や、産業、防災など地域の課題はほとんど学んでいません。中学校でも社会体験のためインターンシップを行っていますが、その目的は職業意識を育てることよりも、生活指導の側面が強く、将来の職業について考える機会はほとんど無いのが現状です。
7.課題は建設系学科以外の生徒にあり
これまで、岩手県の建設業協会と建設系学科の連携・成果について紹介してきました。これらの取り組みによって岩手県内建設系学科の卒業生は多くが建設業及び関連する学校へ進学しています。しかし、少子化と教育予算の削減から岩手県の建設系学科は縮小され続けています。沿岸部に5校あった建設系学科は震災直前に3校に、現在2校にまで減少し、まもなく特殊な潜水技術を学ぶ海洋開発科だけになってしまいます。震災発生後、復興のための人材確保は非常に大変でした。
高校生の大多数が進学する普通科では、職業に対する考えがどのように育てられているかが大きな課題です。現実には大学を卒業したものの、社会に適応できず、家庭に引きこもりが社会問題となっています。一方、非正規社員が増加し、不安定な処遇と低賃金労働が常態化しています。高齢化やこどもの居場所については議論されることは多いですが、現役世代の居場所についてはあまり議論されていません。反面、後継者不足が多くの産業で問題視されています。この矛盾した状況にあって、職業教育が皆無な普通科の教育が大きく問われています。文科省は、他省庁の方針とは関係なく教育課程を定めています。縦割り行政の弊害が様々なところで問題を複雑にしています。教育機関と業界が膝を割って話し合うところから地域の未来が見えてくるでしょう。
人々が安心して、平和で豊かに暮らすため(目的)のロジックモデルを考えました。最初に出てくる根幹(手段1)は、衣(医)・食・住です。人が生きるには体を守る衣料・医療技術、栄養を補給する食糧生産技術、飲料水の確保と共に、災害から社会を守る技術が必要です。円滑に進め、人々が争うことなく平和な社会を築くために(手段2)、余暇を楽しみ、文化や精神性を高めるエンターテインメントや芸術が必要です。次にこの社会をより豊かにするために必要な様々な技術およびエネルギー開発(手段3)といった順番ではないかと考えました。儲かる経済だけで進んだときに、手段が目的化したり、それが原因で争いが生じたりしたのでは本末転倒です。教育のあり方を様々な立場から考えてみましょう。問題の解決策は霞ヶ関ではなく、地方や現場にこそあるのではないでしょうか。