1.日本の火山防災
1972年の桜島の規模の大きな噴火を受けて、国は「活動火山周辺地域における避難施設等の整備等に関する法律」、通称活火山法を制定した。その後、1991年6月3日の雲仙普賢岳の火砕流の噴火で41人が犠牲となり、当時の国土庁が「火山噴火災害危険区域予測図作成指針」を作り、全国の活火山(以下、活火山を火山と表記する)地域に配布した。それまでの火山防災では、火山防災マップを作成している火山はごく少数であった。このマップがない場合、噴火が発生した際の対応が遅れることが明らかになったからである。このように規模の大きな噴火が発生する度に法律は改訂されていく。しかし、火山防災は火山地域の住民だけを対象とするもので行われてきた。
2.御嶽山の噴火
御嶽山という山は、長野県と岐阜県の県境に位置する(写真-1)。標高3067mは日本で14番目の高さだが、火山としては富士山に次いで二番目に高い山である。古くから山岳信仰の山として知られ、御嶽講として江戸時代の後半から明治時代にかけて、多くの信仰登山が行われた。そのために、山頂には多くの山小屋がある。
2014年9月27日の11時52分に、御嶽山が突然水蒸気噴火をし、山頂の火口の周りに多くの登山客が滞在していたため、63人が犠牲となった。山頂には多くの噴石が高速で落下し、建物にも被害を与えた(写真-2)。
1979年にも水蒸気噴火を発生させたが、その際には犠牲者は出ていない。噴火の規模としては同程度なのに、この違いは何だろうか。それは、1979年の噴火は10月下旬で、御嶽山の夏山シーズンは終わっていて、山頂には少数の人しか滞在していなかった。早朝の噴火であったが、噴火のピークは午後で、山頂にいた登山客は十分に下山することが可能であった。1979年の噴火以降、1991年と2007年にもごく小規模な水蒸気噴火が発生しているが、どちらも噴火で犠牲者は出ていない。
それではなぜ、2014年の噴火だけ多くの犠牲者が出たのか。それは、9月下旬の秋の紅葉の美しい季節で、その日は週末の土曜日で、お昼時の噴火であったことによる。つまり、一年間の中で最も登山客の多くが山頂付近に滞在している時に噴火が発生し、そのピークが数分後に訪れたことによる。3067mもある山なので、早い人でも登山道入り口から3時間ほどかけて山頂につく。つまり、多くの登山客が山頂で昼食を取る時間帯と噴火の時間帯が一致したためである。
御嶽山は日本の111の活火山の一つで、噴火する可能性が高いことから、気象庁は常時観測火山に指定して、24時間体制で監視観測をしている。気象庁は2007年から御嶽山のような常時観測火山においては、噴火警戒レベルを導入し、それぞれの火山ごとに、その活動度を5段階に分け、その時々の活動状況により、そのレベルを上げ下げするシステムを導入した。しかし、この噴火警戒レベルの導入には、筆者も含め日本火山学会会員の半分近くが反対をした。それは、2007年当時、火山の活動を迅速に把握し、短時間に行政に伝えることが気象庁にはできないことを知っていたからである。その最悪の結果が御嶽山の噴火である。噴火発生時、レベルは1=正常であった。そのため、御嶽山噴火の犠牲者の家族が、地震の回数が増加したにも関わらず、レベルを上げなかった気象庁を訴えて係争中である。
しかし、多くの犠牲者が出た一方で、助かった人がいる。ヤマケイ新書からは、この噴火で助かった人の本が2冊(「ドキュメント御嶽山大噴火」「御嶽山噴火 生還者の証言」)出ている。これらの中から二人の生還者の証言を紹介しよう。ドキュメントから、八丁ダルミ(写真-3)にいた垣外さんというカメラマンは、「私はとっさに、噴火から遠ざからなければと考え、煙が上がっている方向とは真逆の東側に、登山道をはずれて駆け出した。そしてすぐに、背中に背負っていた45リットルのザックを頭の上にのせてしゃがみました。」また、生還者の証言から小川さんという山岳ガイドは、「登山道を歩いていると、背後から「ドドーン」というあまり大きくない音がして振り返ると剣が峰の右奥に、積乱雲のような噴煙と青い空に放り出された黒い粒を見た。空に放り出された噴石が落ちてくるので、それから身を守るため、登山道近くの岩に張り付き体を小さくし、頭を守った。」この二人のように、御嶽山が火山であることを知っていて、とっさに身を守る頭を守ることをした人は助かった。多くの登山者は噴火の写真を撮影していたため、身を守る行動が遅れた。それが生死を分けることとなった。
3. 御嶽山の噴火以降の防災
内閣府では、御嶽山の噴火を受けて2015年に活火山法を改定した。それまでの火山防災は火山の麓に住む地域住民のためのものであったが、この噴火がきっかけで、山頂付近に滞在している登山客や観光客にも対応するものに改定した。併せて「退避壕等の手引き」を作成し、火山地域での退避壕(シェルター;以下、シェルターと表記)の作成を促すようになった。私はこれがきっかけで、全国の多くの火山地域でシェルターの設置に向かうと思ったのだが、そういった火山は限られている。
2015年に神奈川県の箱根ではとても小規模な水蒸気噴火が発生し、前年の御嶽山のことがあることから、最も火口から近い大涌谷の自然探勝路にシェルター7棟を2019年に完成させた(写真-4)。また、同じく2015年に火山活動が活発化した宮城県の蔵王では、御嶽山の噴火を受けて、既存の公衆トイレ3棟を50cmのコンクリートの屋根のシェルター仕様に変更した(写真-5)。
国は昨年度、8月26日を火山防災の日に制定し、今年から運用を開始した。なぜ、火山防災の日が作られたのであろうか。それは、日本には111も火山があるのに、国民の火山に対する理解が進まないことによる。国内には50の常時観測火山があるが、残念ながらこれらの地域の5分の1程度でしか、シンポジウムや講演会などのイベントは開催されなかった。これには原因がある。それは県の火山防災担当者は火山の専門家ではないので、どのようなイベントを開催すれば良いかをあまり知らない。そこで、日本火山学会に入っている火山研究者が行政に働きかけてイベントを開催すればよいのではないだろうか。来年以降、全国の常時観測火山のある地域全てで、火山防災のイベントが開催されることを期待したい。
4.吾妻山と御嶽山
2014年の御嶽山の噴火時、火口周辺には約300人の登山客が滞在していた。秋の紅葉シーズンの週末、吾妻山の浄土平には約1000人の観光客が滞在している。身を守る屋内施設は、ビジターセンターとレストハウスと天文台で、収容人数は約300人である。つまり、700人前後の人たちは屋内退避が困難なのである。こんな場所にこそ、シェルターの設置が有効である。浄土平のように、登山ではなく火口観光で訪れる所が、国内には十数か所存在する。こういった火山観光地でも急ぎシェルターの設置が望まれる。御嶽山のような火山災害を二度と発生させないために、日頃からの火山防災対策が望まれる。
現在、当磐梯山噴火記念館では「吾妻山と御嶽山」という企画展(写真-6)を開催中である。この展示を通して多くの福島県民に火山防災の必要性を理解していただければ幸いである。