福島県の湧水シリーズ(その20)
南会津郡の湧水(2)−田島町の鴨沼−

谷藤 允彦※1・阿部恵美※2


所在地
南会津郡田島町地内

1.はじめに
 前回の湧水シリーズで紹介した「南会津郡の湧水」の第二弾として、今回は田島町にある「鴨沼」を取材してきました。
 田島町は、古くは江戸幕府の御蔵入領(幕府が直接年貢を徴収する領地)を統治する陣屋町や「会津西街道」の中央宿場町として栄えました。現在も南会津郡の中心としての姿は変わらず、県合同庁舎などの官庁機関が置かれています。
 また、毎年7月には「会津田島祇園祭」が開かれ、メインイベントである七行器行列は、いにしえの姿がそのまま現代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えると同時に伝統の重みを私達に伝えています。



2.湧水までのアクセス

写真1 鴨沼の全景

 前回の「観音沼」と同様、鳳坂峠を経由したルートを紹介します。
 郡山市からは県道郡山矢吹線で長沼町に向かい、国道118号線と合流したら、天栄村の鳳坂峠に向かいます。鳳坂峠を越えると下郷町田代で国道121号線と合流します。そこから宇都宮方面へと車を走らせ、会津田島町の市街地を通過したあたりで、国道121号と国道289号とに分岐する交差点にさしかかったら、直進して国道289号線に入ります。国道289号線を只見方面に向かい針生地区に入ると、左手に「七つ岳開拓地」や「黒森川開拓地」に向かう林道(入口には小さな標柱があります。)が見えてきたら林道に入ります。(ただし、この林道は未舗装であり、雨天時や降雨直後はぬかるみ部分が多数存在するので、訪問時は直前や当日の天候を調べてからのほうが安全です。)あとは林道を道なりに進んでいくと小さな小屋がある沼が見えてきたら、「鴨沼」に到着となります。
 取材に訪れた時にまず目に入ったのは、古びた2艘のボートでした。なぜボートが置いてあったのかは定かではありませんが、昔は今よりも「鴨沼」に訪れる人が多かったのかも知れません。
 自然の一部としてとけ込んだ晩秋の鴨沼は、晩秋独特のわびしさも加わったせいか、どこか寂しげな表情をみせていたように感じられました。
(2003年10月31日取材)
 数10羽の鴨がいくつかの群れに分かれて沼に浮かぶ葦の浮島の間を泳ぎまわったり、一斉に飛び立ったりしていました。



3.地形・地質概要
 今回取材した「鴨沼」は田島町南西部の「中の森山地」の西端に分布する「地すべり地形」の中にあります。鴨沼周辺の地形・地質概要は以下のようになっております。
【地形】
 福島県発行の土地分類基本調査「針生」によると、鴨沼周辺の地形は標高1100〜1200m程度の中起伏山地、標高1000m未満の小起伏山地が大部分を占めています。起伏山地からは無数の沢が山地間を流れ、平坦部の桧沢川へと流れ注ぎます。桧沢川両岸を見ると、標高700〜800mの最上流域は上位〜中位の段丘面が形成されていますが、段丘面がみられるのはごく一部であり、大部分は連続性のある谷底平野が分布しています。

【表層地質】
 表層地質は、起伏山地の部分は新第三紀の中新世最末期〜鮮新世初期(今から500万年前頃)に形成したとみられる「駒止峠層」の分布地域になっています。この「駒止峠層」は「石英安山岩質溶結凝灰岩」を主体とした火山性岩石によって構成されています。

【岩屑雪崩は観音山の山体崩壊の産物】
 観音山の西側に伸びる尾根は、馬蹄形の急斜面で切り取られています。この急斜面の西側が山体崩壊により岩屑雪崩となって、大部分は観音川の方に、一部は加藤谷川の方に崩壊したと考えられます。山体崩壊は高さ500m、南北1000m、東西2000mに達する巨大なものであり、岩屑雪崩の先端は観音川と阿賀川の合流点まで約10kmの間、谷を埋めて流れ下っています。
 この山体崩壊が発生したのは、今から約17,000年前頃であることが、最近の研究で明らかにされています。山体崩壊の原因は良くわかっていませんが、もし今このような崩壊が生じたならば、観音川・加藤谷川・阿賀川沿いに生活する数千人以上の住民があっという間に岩屑雪崩に飲み込まれてしまうことは間違いないでしょう。逆らうことの出来ない自然の巨大な力をあらためて感じさせられます。



4.鴨沼の湧出機構
 ここでは、地形・地質概要から鴨沼の湧出機構について考察してみます。  前述のとおり、鴨沼は「中の森山地」の西側に分布する「地すべり地形」に属しています。国土地理院発行の1:25000地形図の「針生」「糸沢」より抜粋した鴨沼周辺の地形図(図1)を見ると、鴨沼は崖錐部分のすぐ近くにあります。これを(図2)の「地すべり模式図」にあてはめると、(3)の「頭部」に相当すると考えられ、「頭部」の最も大きな特徴は「窪地となっており、池や沼あるいは湿地帯が多く見られる」ことです。
 再び(図1)を見てみると、鴨沼と標高が同程度の部分には湿地帯が2ヶ所確認することができます。このことから、鴨沼は「地すべり頭部の窪地」に位置すると判断されます。
 次に、地すべり地形の表層地質は砕屑物を主体としています。鴨沼周辺の砕屑物は、地すべりまたは山体崩壊によって産出形成されたものであり、その原岩は硬質の石英安山岩質溶結凝灰岩を主としており、風化粘土化しにくいものなので、岩屑堆積物は良好な透水性をもったものと考えられます。
 地すべり地には多くの場合「すべり面」(図3の(4)に該当)があり、すべり面は粘土層となっていることが多いことから、地すべり面は不透水層であるといえます。また、中の森山地を形成しているのは、「石英安山岩質溶結凝灰岩」であり、こちらも不透水性の岩盤と評価されます。
 このことから、鴨沼の湧出機構は次のような推測が考えられます。

(1)降雨等により地表から雨水や融雪水が地下浸透する。
(2)地下浸透した天水は不透水層である地すべり面以深には浸透しにくい。すなわち地下水面は「砕屑物」層内にあると判断される。
(3)地下水面は不透水面であるすべり面の傾斜にそって流下し、地すべり頭部に形成された窪地から地表に一部湧出する。
「鴨沼」が形成される。

図2 地すべりの模式図



(1)

冠 頂 滑落崖上部の原地盤の部分。滑落崖に平行な数条の引張亀裂が見られる。
(2) 滑落崖 地すべり地の最上部に現れる比較的急峻な崖面。馬蹄型をなすことが多く、条痕がついていることもある。
(3) 頭 部 移動層の滑落崖に沿った部分。多くの場合窪地になっており、池や沼、湿地体が多く見られる。
(4) すべり面 移動層と原地盤との境界。ベントナイトなど粘土層を伴うことが多い。
(5) すべり面下端と原地盤との交線。普通は崩土に覆われて見られない。
(6) 舌 部 脚より下方の移動層。先端が隆起している。
(7) 舌端部 先端のこと。



 以上の湧出機構から、鴨沼は地下浸透から地表への湧出までの時間が短いすなわち地中への滞留時間が短いと予想されます。これについては次章の水質分析結果について検討を行います。
 鴨沼には直接表流水が流入していませんが、東側の岸辺に地下水の湧出が認められます。この量は毎分100L程度しかありませんが、鴨沼からの流出水量は毎分1000L近くあります。このことは沼の中に毎分数百リットルの地下水が湧出していることを示しています。
 鴨沼の水は箕沢下流に広がる水田や畑の灌漑用水として重要な役割を果たしているようです。


5.湧水の水質
 「鴨沼」の湧水形態の手がかりとなるイオン組成を調べるために流入口付近、そしてオーバーフローの流出口付近の2ヶ所で採水し、イオン分析を実施しました。イオン分析の結果は(表1)のとおりです。
 (表1)のイオン当量を用い、陰イオン・陽イオンの組成バランスを視覚化した「ヘキサダイヤグラム」を(図3)に、各イオンの溶存割合から地下水質を把握する「トリリニアダイヤグラム」を(図4)に示します。
 (表1)および(図3)のヘキサダイヤグラムより、流入時・流出時とも陽イオンについては変化が見られず、陰イオン特に硝酸イオンの変動が著しいことが分かります。また、(図4)のトリリニアダイヤグラムおよび水質区分から、流入水・オーバーフローとも、I型【Ca(HCO
32型】の循環性地下水に区分されています。



表1 イオン分析結果(2003年10月31日採水)
採水地点
(採水時間)
鴨沼流入水
(10/31 15時00分)
鴨沼オーバーフロー
(10/31 15時30分)
水温(℃) 8.5 9.0
pH 7.06 6.94
電気伝導度
(μS/cm)
53.6 54
測定項目 mg/L me/L mg/L me/L
硝酸イオン
(NO3-
2.2 0.035 0.4 0.006
塩素イオン
(Cl-
1.9 0.054 1.8 0.051
硫酸イオン
(SO42-
3.5 0.073 2.3 0.048
炭酸水素イオン
(HCO3-
23 0.377 28 0.459
ナトリウムイオン
(Na+
3.0 0.130 3.0 0.130
カリウムイオン
(K+
1未満 0.013 1未満 0.013
マグネシウムイオン
(Mg2+
0.8 0.068 0.9 0.074
カルシウムイオン
(Ca2+
2.7 0.135 3.0 0.150
※水温、pH、電気伝導度は現地での簡易分析である。
※イオン当量は、イオン濃度を原子量で除したものである。



鴨沼流入水



鴨沼オーバーフロー



図3 ヘキサダイヤグラム
(上段:流入水 下段:オーバーフロー)





領域 組成による分類 水の種類
I 重炭酸カルシウム型
Ca(HCO3)2
Ca(HCO3)2 Mg(HCO3)2型の水質組成で、わが国の循環性地下水の大半がこの型に属する。石灰岩地域の地下水は典型的にこの型を示す。
II 重炭酸ナトリウム型
NaHCO3
NaHCO2型の水質組成で、停滞的な環境にある地下水がこの型に属する。したがって、地表から比較的深い地下水の型といえる。
III 非重炭酸カルシウム型
CaSO4又はCaCl2
CaCl2又はCaSO4型の水質組成で温泉水・鉱泉水および化石塩水等がこの型に属し、一般の河川水・地下水では特殊なものであり、温泉水や工業排水等の混入が考えられる。
IV 非重炭酸ナトリウム型
Na2SO4又はNaCl型
Na2SO4又はNaCl型の水質組成で、海水および海水が混入した地下水・温泉水等がこの型に属する。
V 中間型 I〜IVの中間的な型で、河川水・伏流水および循環性地下水の多くがこの型に属する。
図4 トリリニアダイヤグラムと水質区分
(●:流入水 ○:オーバーフロー)




 このことから、鴨沼の水質が「停滞性地下水」の可能性であることが低いと言えます。
 また、「陽イオンの不変化」の部分に着目すると、地下水の水質変化機構のひとつに「陽イオン交換」という現象があります。これは、地下水が粘土鉱物に接触した時に、粘土鉱物が地下水中の陽イオンを取り入れるという現象で、鉱物中のケイ素(Si4+)がアルミニウム(Al3+)に入れ変ったため、余った負の原子価が平衡を保とうとして、地下水中の陽イオンを吸着することで起こります。今回の場合、流入時と流出時の陽イオンには変化が見られないことから、鴨沼に流入した湧水は粘土鉱物と接触する前に地表に流出していると考えられます。
 なお、硝酸イオンの減少については降雨や他の流入口から流入した硝酸イオンの少ない湧水による濃度希釈が有力とみられます。




※1  新協地水(株) 代表取締役会長
※2  新協地水(株) 技術部

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