福島県の湧水シリーズ(その21)
南会津郡の湧水(3)−只見町沼の平湖沼群の曲沼−

谷藤 允彦※1・阿部恵美※2


所在地
南会津郡只見町地内

1.はじめに

写真1 曲沼全景

 只見町にある浅草岳北東山腹には沼の平と呼ばれる、直径1km程度の凹地が有ります。この中に10を超える沼地が見られ、「沼の平湖沼群」と呼ばれている。今回はこの湖沼群のうち、中心部に在り、最も水深の深い「曲沼」を取材してきました。
 只見町は福島県の南西端にあたり、町内を南北に縦断する国道252号は東北地方から中越地方への玄関口の役目を果たしています。
 標高1000m以上の山々に囲まれた県境の町には、豊富な水資源を利用する「田子倉ダム」を始めとするダム湖や、会津朝日岳・浅草岳・蒲生岳等の登山、秋の紅葉、冬のスキー・雪祭り等、自然に恵まれた観光資源が多く、県内外から多くの登山客や観光客が訪れます。
 今回の採水のために只見町を訪れたのは初秋の9月上旬でしたが、筆者である私は1〜2年前に「奥只見ダム」へ行くために盛秋の只見町を初めて訪れたのですが、周囲の山々を彩るブナの紅葉の美しさに自然への感謝の念を持ったものでした。




2.湧水までのアクセス

写真2 登山口



写真3 山神の杉


写真4 土砂崩壊


写真5 倒木

 磐越自動車道、会津坂下インターを降りて、国道252号線を一路南下すること、約65kmで国道289号線との分岐点に到達します。叶津川にかかる堅盤橋の上に、国道289号線入叶津「新潟方面通行不能」の道路標識がかかっています。ここを右折せず252号線を直進すると3kmで只見町役場です。標識にしたがって289号線を右折し西に向かって走ると、最後の集落である入叶津入り口の橋に差し掛かります。ここから北西に向きを変え1.3km先の左側に中央に3本の杉がある駐車場が見えます。駐車場の北西端に「越後三山只見国定公園浅草岳登山口」の看板(写真2)が見え、その右手から登山道を辿ることになります。
 登り始めてすぐに急勾配の登山道になり、ブナを含む二次混交林の中を喘ぎながら登ることになります。高度を上げるうちにブナ原生林になり、勾配が緩くなるとまもなく浅草岳登山道の、ブナ平コースと沼の平コースの分岐点です。この地点には山神の杉(写真3)があり、標高766m、約1時間のきつい登りを終わって一息を入れる場所です。
 分岐点を右側(沼の平コース)に取り、鬱蒼たるブナ原生林の中を下ること、20分ほどで小三本沢に出ますが、7月の集中豪雨災害の爪痕が生々しく(写真4)、大小の土砂崩壊の痕がいたる所に見られて登山道は非常に荒れた状態でした。対岸に渡って急勾配を10分程度登ると勾配は緩くなりますが、地割れ、倒木(写真5)などがあちこちに有り、活動の活発な地滑り地域であることを実感させられます。
 まもなく登山道の左側に細長い笹沼が、そして右側にはすり鉢の底のような凹地にほぼ台形に水をたたえた曲沼が見えます。緑がかった水面に、ブナの純林と周辺の山体を映して神秘的な光景が見られます。
 現在は廃道となって通り抜けできませんが、明治の初めまでは新潟方面に抜ける八十里古道が沼の平湖沼群を巡りながら北に伸びていて、戊辰戦争のとき長岡藩の河井継之助が会津を目指してこの道を通ったということです。



3.地形・地質概要


写真6 グリーンタフ 露頭

 沼の平は浅草岳山頂から北北東3kmの山腹部に形成された、東西1.5km、南北1kmの陥没地です。陥没地は標高750m〜850m、多くの小凹地と凹地に帯水した10を超える沼が散在しています。かっては浅草岳火山の噴火口ではないかと考えられていましたが、火山活動によるものではなく、地滑り陥没地であることが明らかになってきました。
 陥没地域の西及び北には高さ数10m〜百数10mの明瞭な滑落崖があり、直下に幅20m、長さ80mの細長い濁り沼が横たわっています。頂部陥没帯の凹地に水がたまったものです。1段下がったところに富貴沼・大砲沼・強清水・元沼・岩魚沼などがあり、次の段には曲沼、最下段には柳沼・笹沼があります。これらは2次・3次の滑落に伴なうものと考えられます。
 地滑り地の基盤岩は、淡青〜淡緑色凝灰岩類で、移動土塊は安山岩岩塊を主とした土砂です。基盤岩は新第三紀中新世の海底火山噴出物であり、いわゆる「グリーンタフ(写真6)」です。安山岩は今から数10万年前に活動した浅草岳火山の溶岩が元になっていると思われます。
 地滑りの原因ははっきりしませんが、火山活動に伴なう噴気や熱水によって凝灰岩が粘土化して滑り面になった可能性が考えられます。
 地滑り地の中央を流れる小三本沢の激しい浸食力と運搬力により、土砂が削剥された分だけ地滑りによる土塊移動が起こっているようです。集中豪雨時の土石流災害が心配される状況に見受けられました。


図1 案内図
(国土地理院発行1:25000地形図「只見」「守門岳」より抜粋・加筆)

図2 沼の平湖沼群と地滑り
(参考資料:地すべり学会ホームページ 日本の主要な地すべり)



4.鴨沼の湧出機構


写真7 湿地

 沼の平湖沼群のほとんどは凹地に水がたまったような形であり、流入水はありません。富貴沼や強清水からは流出水があり、小三本沢に流れ込んでいますが、他の大部分は流出水がありません。又多くの湿地帯が有り、そこには小規模な湧水が見られます(写真7)。
 このことは、沼の平土砂中には地下水が豊富であり、湖沼面や湿地帯は地下水面を示していること、相対的に水面が高いところでは沼底の湧水が流出水になり、相対的に水面が低いところは土砂の中を移動する地下水が地形的な凹地で地表に現れて沼地を形成していることを暗示しています。



5.湧水の水質
 今回の水質分析結果を表1、ヘキサダイヤグラムおよびトリリニアダイヤグラムを図3に示します。
水質分析の結果、曲沼の湖沼水には炭酸水素イオンとナトリウムイオン以外のイオン成分はごく微量しか含まれていないことがわかりました。また、地下水質において人工による水質汚濁の指標とされている硝酸イオンについてはイオン濃度で皆無に近い状態であることから、人工汚染の無い良好な湖沼水であると判断されます。
図3のヘキサダイヤグラムの形から、Na+イオンとHCO3-イオンが突出した形をしたNaHCO3型を示しています。一方、トリリニアダイヤグラムのパターンをみると中間型である「X型」を示しており、プロットの位置は、「X型」の領域である三角形のちょうど中心付近に位置しています。
 中間型に位置する地下水は、河川水や伏流水および循環性地下水がこの方に属すると考えられています。
 今回取材した曲沼の場合、流入口および流出口が見つからないため、曲沼の湖沼水の性質として考えられるのは「循環性地下水」の可能性が高いと言えます。
 今回の場合、ヘキサダイヤグラムの形およびトリリニアダイヤグラムのプロット位置より、いずれも「滞留時間が短い循環性の地下水」であると言えます。
 しかし、各イオン成分の溶存割合を見てみると、滞留時間が短いといえるのに深層型のナトリウムイオンを多く含んでいます。すると、「循環性地下水の形なのに深層型のナトリウムイオンを多く含んでいるのでは矛盾が生じるのでは」との疑問が生じてきました。



表1 水質試験結果(2004年9月3日採水)
採水地点 只見町曲沼
水温(℃) 24.8
pH 6.84
電気伝導度(μS/cm) 40.1
測定項目 mg/L me/L
硝酸イオン(NO3- 0.010 0.000
塩素イオン(Cl- 1.7 0.048
硫酸イオン(SO42- 1.8 0.037
炭酸水素イオン(HCO3- 9.2 0.151
ナトリウムイオン(Na+ 2.4 0.104
カリウムイオン(K+ 0.7 0.018
マグネシウムイオン(Mg2+ 0.19 0.016
カルシウムイオン(Ca2+ 0.9 0.045
※水温、pH、電気伝導度は現地での簡易分析である。
※イオン当量は、イオン濃度を原子量で除したものである。



只見町曲沼




図3 ヘキサダイヤグラムとトリリニアダイヤグラム(●:流入水)




領域 組成による分類 水の種類
I 重炭酸カルシウム型
Ca(HCO3)2
Ca(HCO3)2 Mg(HCO3)2型の水質組成で、わが国の循環性地下水の大半がこの型に属する。石灰岩地域の地下水は典型的にこの型を示す。
II 重炭酸ナトリウム型
NaHCO3
NaHCO2型の水質組成で、停滞的な環境にある地下水がこの型に属する。したがって、地表から比較的深い地下水の型といえる。
III 非重炭酸カルシウム型
CaSO4又はCaCl2
CaCl2又はCaSO4型の水質組成で温泉水・鉱泉水および化石塩水等がこの型に属し、一般の河川水・地下水では特殊なものであり、温泉水や工業排水等の混入が考えられる。
IV 非重炭酸ナトリウム型
Na2SO4又はNaCl型
Na2SO4又はNaCl型の水質組成で、海水および海水が混入した地下水・温泉水等がこの型に属する。
V 中間型 I〜IVの中間的な型で、河川水・伏流水および循環性地下水の多くがこの型に属する。


 イオン成分が変化する要因となるものには「地中での滞留時間」や「岩盤の種類」が挙げられます。実際、降雨等を意味する「天水」にはイオン成分がほとんど含まれていません。「天水」が地中に浸透し、地中から岩盤中の裂か部を移動する過程で「陽イオン交換」が発生し、岩盤中の滞留時間が長いほどNa+イオンが増加することが良く知られています。
 今回は、流入口および流出口が見当たらなかったため、流入時と流出時でイオン成分に変化があるのかどうかは不明です。しかし、曲沼の周辺には大小様々な沼があり曲沼は「山地間の湖沼群」の中の一つです。また、湖沼群は「地すべり地形」の斜面移動体上に位置しています。
 表層地質は浅草岳を噴出源とする第四紀更新世の「安山岩および火山噴出物」分布地域となっています。地滑り土塊は安山岩を主とするもので、基盤岩は「グリーンタフ」です。
 前回および前前回取材した地すべり地形の湧水である「下郷町の観音沼」や「田島町の鴨沼」は「岩屑なだれ堆積物」や「山体崩壊堆積物」からの湧水で、基盤岩が「石英安山岩質凝灰岩」であります。
 また、この2つの湖沼はいずれもCa(HCO3)2型を示していました。
 上記にあげた3つの湖沼の湧出機構が類似しているものだと仮定すると、曲沼の湖沼水が他の地すべり地形上の湧水と異なる要因は「基盤岩が異なること」や「堆積物が異なる」などが関連しているのではとの仮説が考えられます。中でも基盤岩の相違が水質の相違を生み出している可能性が考えられますが、わずかなデータ数で判断するのは大変危険なことであるため、今回は「あくまでも仮説」とします。



6.孤立した沼に魚が棲む謎
 曲沼や笹沼には魚が棲んでいます。見たところ岩魚のようです。岩魚は陸封された鮭の仲間で、冷たい源流部を棲家にし、渓流の王として釣りの対象の代表的な魚です。川に繋がっていない孤立した沼にどのようにして棲みついたのでしょうか。
 人工的に放流した可能性が考えられます。事実、かなり昔から地元の釣りの愛好家や漁協が岩魚と鯉の放流を行って、釣りの穴場として楽しんでいる、という話です。
 一方、曲沼と同じように孤立した沼に岩魚沼という名前がついているところがあります。岩魚を放流してから後に名前がついたのではなく、もともと岩魚が棲んでいたから名前がついたと考える方が自然です。
 沼の平の地滑りはかなり活動的なもので、現在も移動していることは明らかです。笹沼はかつて、2つに分かれていたものがいつのまにか一つになったということです。その他の沼の形も少しずつ変化しているようです。地滑りし土塊の移動により、かつての沢水がせき止められて沼地になったり、沼地から流出していた水路がせき止められて孤立したり、という変化がおきていた可能性が高いと言えます。
 かつては川に繋がっていてそこに魚が棲んでいたものが、地滑りによって孤立した沼に封じ込められてしまった。そこに、釣り場を求めて愛好家が放流をはじめ、知る人ぞ知る釣りの穴場になったと考えることができます。孤立した沼に魚が棲むためには、水の出入りがなければなりません。曲沼などの水は地下水として移動していると考えなければなりません。



7.終わりに
 浅草岳・沼の平のブナ原生林は、きわめて貴重なものであると折り紙がつけられています。規模・品格・原始性・静けさ・個性を指標とする評価で、世界遺産の白神山地をしのぐ高い評価が与えられています。(坪田和人「ブナの山旅」全国ブナ林ランキング-山と渓谷社)
 ブナ林そのものだけではなく、沼の平湖沼群の豊富な生態系や景観が彩りを添えて、一層魅力を高めているようです。同時に、活動的な地滑りという荒々しさ・もろさ・危険性などが、自然の素晴らしさを演出しているようにも思われます。
 今年7月に、新潟中越から南会津地方を襲った集中豪雨は、沼の平湖沼群にも大きな災害をもたらしました。登山道にも崩壊や開口亀裂がいたる所に発生し、小三本沢の渡渉には困難を伴なう状況です。沼の平コース登山道は、当面自主的に立ち入りを遠慮すべき状態です。訪問される場合は、登山道の状況を事前に調べ、融雪時、降雨時は絶対に避けてほしいと思います。
 今回の取材に当っては、只見町教育委員会主任主査新国勇氏から貴重な資料と情報をご提供いただきました。紙面を借りて厚く御礼を申し上げます。




※1  新協地水(株) 代表取締役会長
※2  新協地水(株) 技術部

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