水の話あれこれ(その6)
代表取締役  谷 藤 允 彦

 水というのは、人間を始めあらゆる生物にとって無くてはならない貴重な存在であると共に、ごくありふれたものでもあります。言葉としての「水」もこうした水の本性を反映して、様々な使い方をされています。ことわざや状態を言い表す名詞や形容詞には、水に関するものがたくさんあります。その中から、思い付くまま幾つかを上げてみました。
 これらの言葉の中には、命の源としての水、貴重な得難いものとしての水、清いもの・美しいものとしての水、平らで凹凸のないもの、ありふれたもの・価値の無いものとしての水、など様々な意味で使われています(言葉の意味は広辞苑…岩波書店…によった)。

魚心あれば水心魚に心があれば水にもそれに応ずる用意があるの意味。相手が好意を持てばこちらもそれに応ずる用意があることにいう。
水魚の交わり水と魚とのような関係。親密で離れがたい友情や交際のたとえ。
水清ければ魚棲まずあまり清廉過ぎると、かえって人に親しまれないことのたとえ。
江戸時代の中期、賄賂老中として名高い田沼意次の腐敗政治を一掃しようとして幕政改革に乗り出した松平定信(奥州白河藩主、楽翁と号する)の寛政の改革は失敗に終わったが、江戸っ子の間で次の狂歌が流行ったという。
「白河の清きに魚もすみかねて元の濁りの田沼恋しき」
覆水盆に返らず一旦離別した夫婦の仲は元どおりにならない事に言う。転じて、一度してしまったことは、取り返しがつかないことを言う(周の呂尚(太公望)が読書にふけっていたので、妻が離縁を求めて去った。後に呂尚が斉に封ぜられると再婚を求めてきたが、尚は盆を傾けて水をこぼし、その水を元のように戻せばその請を容れようと言ったという故事)。
水は方円の器に随う水が容器によってどのような形にもなることから、民は君主の善悪に感化されてどちらにもなる。また、人も交友・環境によって善悪のいずれにも感化される。
水掛け論日照りのとき百姓が自分の田に水を引き込もうとして争うことから、双方が互いに理屈を言い張って果てしなく争うこと。
水の流れと人のゆくえ前途の知れにくいことのたとえ。
水の低きにつくが如し物事の自然のなりゆきをいう。また、物事のなりゆきの止めにくいことをいう。
水に流す過去のことをとやかく言わず、すべてなかったことにする。
死水を取る末期の水を死者の口に注ぐ。転じて、臨終まで介護する。
水入らず内輪の親しいものばかりで中に他人を交えないこと。
水くさいよそよそしい。隔てがましい。他人行儀だ。
水を向ける巫女が生霊・死霊を呼び出すときに水を差し向けることから、相手の関心をある方向へ向けるように誘い掛ける。暗示を与えて様子を探る。もちかける。
水をさす水を加えて薄める。うまくいっているのに邪魔をして不調にする。
水も漏らさぬ少しの隙も無く敵を囲い込むさま。防御又は警戒の厳重なさま。交情がきわめて親密なさま。
水をあける水泳やボート競技で1身長または1挺身以上の差をつける。競っている両者の間にかなりの差をつける。
水の泡消えやすいもの、はかないことのたとえ。努力などが無駄になること。
水もしたたる美男美女のつやつやして色気のあるさまの形容。
水もの一時的な利益だけで、長続きする見込の無い物事。また、運に左右されやすく、予想外の結果を見ることの多い物事。当てにならないもの。
水を打ったような大勢の人が誰も口をきかず静まり返っているさま。
水入り相撲で勝負が決せず双方取り疲れた時、しばらく引き離して休ませ、力水をつけさせること。
水増し水を加えて量を増やすこと。転じて実質を落としても見かけの量を増やすこと。
実質・内容の貧弱なものを見かけだけそれ以上のものにする事。実際よりも量を増やすこと。
水っぽい水分が多い。水気が多くて味が薄い。
立て板に水弁舌がすらすらとしてよどみのないさま。
水際立つ鮮やかに際立つ。ひときわ目立つ。
水さかずき酒の代わりに水を用いて飲む別れの杯。再会を予期できない時などにする。
末期の水人の死にぎわに、その口中に含ませる水。
水商売客のひいきで成り立って行く、収入の不確かな商売の俗称。
呼び水・誘い水ポンプの水が出ないとき、上から別の水を注ぎこんで水が出るようにすること。また、その水。比喩的にある物事を引き出すきっかけを作ること。また、そのもの。
水を得た魚のように自由に活動できる場を得て生き生きしているさま。
湯水のように金銭を惜しげもなくむやみに費やすことの形容。


[前ページへ] [次ページへ]