大連と台北-その相似と相違
-訪中・訪台で見たままの感想-
新協地水株式会社 代表取締役社長 谷藤 允彦
(技術士 応用理学部門)



大連 中心街  10月に中国大連市(8〜11日)と台湾台北市(28〜31日)を相次いで訪問する機会があり、この両地域が共通した民族的な特徴を持っていること、同時に、自然条件・社会体制の違いを反映した大きな差を持っていることを実感してきました。そのいくつかについて思いつくままに記してみます。


(1)言葉
台北市を望む  大連も台北も中国の共通語である北京語を使用しているということです。私は中国語の会話を理解することはまったく出来ないが、会話のイントネーションの似通っていることは感じることが出来ました。漢字とローマ字で表された地名や道路名、建物などを見ると、同じ漢字には同じローマ字で表現されていました。
 どちらの人とも会話するときは漢字を使った筆談がもっとも有効な手段になりました。
 中国の漢字は省略されたものが多く、字を見ただけでは元々の漢字を理解できないものもありましたが、省略の仕方に一定の法則があるようで、2〜3日の内に大抵の省略漢字を日本語で読めるようになりました。私が書いた日本の漢字を中国人はほとんど読むことが出来るようでした(年配の人が多かったからか)。
 台湾ではむしろ昔のままの漢字を使っているケースが多く、日本で通用している漢字は省略型になっているものがありました。
 大連ではホテルでも日本語がほとんど通じないことが多く、普通の人は英語の会話も理解できないように思われました。
 台北ではホテルはもちろん、レストランでも日本語・英語が通じました。スナックやカラオケバーの女性も日本語の習得に熱心で、日本に行ったことのある人が多かったようです(日本人客の多いところに行ったせいか)。
 看板という看板を大連でも台北でもよく見かけました。漢字とアルファベットをくっつけた奇妙な看板であり、最初大連で見かけたときは何のことかまったくわかりませんでした。台北で見かけたときにその意味がわかったのですが、体制がまったく異なり、ほとんど交流が無いと思われる両市に中国語ではない奇妙な共通語があったことにびっくりしました(看板の正体は「カラオケ」のことでした)。


(2)交通マナーとルール
博物館  車は左ハンドル右側通行であり、日本とは反対です。そのせいもあってか、道路の横断や自動車に乗っての通行では怖い思いを何回か味わいました。
 大連の市街地の道路は広くゆったりしていますが、信号が非常に少ないのです。道路を横断するには車の間を縫ってわたることになりますが、車の数が多く進路変更が隙間なく行われているため、安全な距離をはかって横断しようとすると、とても横断できないことになってしまいます。たまに信号のある交差点でも車は信号を守ってくれません。中国人の横断の仕方は、車が近づいても、慌ててスピードを変えることなくゆっくりと同じ速度でわたっていきます。ペースを変えないことで、車のほうが人間を避けて通ってくれるというのが道路横断のコツなのです。しかし、私にはこのコツを飲み込むことが出来なくて、幅50m以上の道路を横断するのに全力疾走してみたり、中国人がわたりかけるのを待って、その影に隠れておどおどしながら真似をするという具合でした。
 運転マナーは台北でも同じようであり、車のちょっとした隙間を見つけて強引に割り込むため、進路変更がしばしばで、車間距離はほとんど取らないという運転態度でした。信号の数は多いのですが、人間も車もあまり信号を信用しないで、車の洪水の間を縫って人が横断する光景を何度も見かけました。
 交通信号が青であれば安心してわたることが出来、赤ならば止まるというのは日本の常識であり、中国や台湾の常識ではないことを思い知らされました。運転には相当自信を持っていたつもりの私ですが、大連や台北ではとても運転は出来そうもないと観念しました。


(3)食事マナーと楽しみ方
 普通の家庭の食事風景がとのようなものかを体験することは出来ませんでしたが、レストランでの夕食の楽しみ方から、日本との違いを感じました。大連でも台北でも家族連れが目立ちました。日本ですとラーメンやカツ丼とか、単品で食べることが多いように思いますが(我が家だけかもしれませんが)、フルコースメニューをたっぷり時間を掛けて楽しむ習慣があるようです。量も多く、私たちは半分以上食べ残してしまうほどですが、中国人についても食べ残しが出るほどの量が出されるようです。大皿が空になったら御客さんに失礼にあたる、というのが中国式の礼儀なのかもしれません。客のほうでも大皿を全部平らげるのではなく、少しは残すというのが食事マナーかもしれないと思いました。
 日本人は一度口に入れたものを吐き出すことは食事マナーに反すると教えられ、口に入れる前に皮や骨はより分けてから食べることが多いのに対し、中国では口に入れてから、食べられないものを吐き出すというやり方でした。また、道路を歩きながら食べ、食べ滓を吐き出すという光景をよく見かけました。
 両市とも繁華街では中国料理特有の臭気がいつでも漂っていて閉口させられるのは、調理法や食べ物に香辛料を多く使うことのほかに、このような食事方法が不潔感を思い起こさせるからかもしれません。

(4)温泉入浴法
温泉  大連には温泉は殆ど無いようですが、1ヶ所だけ、温泉の涌出現場と保養所を見ることが出来ました。非常にひなびた場所であり、収容人員も少ない、古びた施設でしたが、新たに数棟のログハウスを建築中でした。中国でも温泉地で保養する余裕が出始めたのかと思いました。大浴場とか露天風呂は無くて、家族風呂で部屋毎に交代で入浴しながら数日を過ごすというのが温泉保養所の楽しみ方のようです。
 台北市付近には北投温泉をはじめ多数の温泉地があり、その多くは戦前の日本統治時代に開発されたもののようです。日本式の温泉施設が多数あり、日本人観光客でにぎわっているということでした。台湾人は大浴場で裸になって入浴する習慣はないそうですが、最近になって温泉入浴を楽しむ人が増え、温泉地は地元の人たちで一杯でした。烏来温泉では、深い谷底の川岸に多数の温泉が湧出しており、露天風呂がありました。日本と違って、水着を着た老若男女が、露天風呂に一杯に詰まって、食べたり飲んだりしながら温泉を楽しんでいました。
 日本式の露天風呂が静かなブームを呼びつつあり、日本観光の楽しみの中には、露天風呂が付きものになっているといわれました。


(5)若さと女性の活躍
 大連市とその1級〜2級下の行政組織の幹部は30〜40歳代の若い人が目立ちました。市長や教育長、村長などは青年といってよい年齢に見えました。対外取引にあたる実務責任者も若い(40歳代?)女性でした。
 大連でお会いしました、王さんや趙さんの話によると、中国では同一労働同一賃金が厳しく保証され、家事も子育てもほぼ平等に分担しているそうです。殆どが共働きであり、男女別姓、家庭内では女性の地位が高い様子でした。
 台北市でも実業界では若い社長(総経理)やオーナー会長(董事長)が活躍しているようです。私が会った中小企業の社長や会長はほとんどが30〜40歳代で、女性が目立ちました。ある大手電機メーカーの現地子会社の社長は本社から派遣された日本人ですが、実質的な責任を持って運営にあたっている台湾人は40才前の若い人でした。


(6)広場は町の中心
広場  大連と台北で一番の違いを感じたのは、町の中にある「広場」の占める位置付けです。
 大連では町のいたるところに円形の広場があり、広場の周りはロータリーになって、道路がそこから放射線状に作られています。その道路によって町は3角形や台形に区切られていました。車は交差点で右折・左折するよりは広場の周りのロータリーを通って目的の場所に向かうことが出来ます。広場を取り巻くロータリーが交通をさばくため、交通信号が少なくて済む理由の一つになっています。
 広場の大きなものは直径100mもあり、公園になっているだけでなく、大勢の市民が集まって、運動をしたり散歩、集会、大道芸、語り合い、読書など、さまざまな憩いの場になっています。早朝から大勢の市民が集まって、グループ毎に太極拳やジョギング、踊り、小鳥の鳴き合わせなどに興じているのを見かけました。
 いっぽう台北では日本と同じように、碁盤の目のような道路網で町は四角に区切られています。あちこちに公園はありますが、大勢の市民が集まる中心ではなく、『緑の空間』というイメージです。街作りの中に、日本が統治していたという歴史を見ることが出来ます。


(7)中国と台湾の関係
超高層ビル  中国・台湾を旅行して感じたのは、この両地域は政治的には厳しい対立を持ちながらも、疑いもなく同一の民族として、血のつながりの濃い関係にあるということです。50年という分断も中国5000年の歴史の重さを変えることは出来ないのだと思いました。
 行ってみるまでは、中国と台湾は厳しく対立し、一般人の交流はないものと思っていましたが、実際は、食料や衣類、観光客用の土産物(中国→台湾)、電気製品(台湾→中国)などがあふれており、人の往来も非常に活発なようです。両地域の関係は、国家というレベルでは相入れない立場であっても、個人とか企業のレベルでは同一民族としての親近感を持ち合い、両政府とも物資や人の交流は禁止していないようでした。こうした点での中国人の民族としての柔軟性やしたたかさを感じさせられました。



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