本イラスト 地盤工学古書独白 第1回
プロローグ

新協地水株式会社 代表取締役会長 小松田 精吉
(工学博士 技術士 建設部門)




古本と古書
 古書と古本とでは意味がどのように違うのであろうか、と辞書をひもといて見ると、神経質に考えるほど、厳密な違いはなさそうである。古本は、第一に、古くなった書物、読み古した書物と記載され、第二に、時代を経た書物とされている。これに対して、古書は、第一に、昔の書物、古い文書とあり、第二に、古本、新本でない書籍とある。それぞれ第一に記載された意味だけをひろって、あえて意味の違いを見つけようとするならば、古本は物理的に古くなった書物であり、古書は歴史的に古い書物である、とでもいえようか。
 1957年(昭和32年)に民間の地質研究所へ就職して、給与で自分のものが買えるようになってからは、東京神田の古本屋に通うのが楽しみで、地盤工学に関する古本を見つけ出す度に、心を躍らせながら、買い漁った。いつの間にか、本棚がいっぱいになって、本棚がいくつにも増えた。そして、43年たった。この古本を本棚に寝かせておいても、何の役にもたたない。そこで、書籍を整理するついでに、古本について何か書き残しておこうと、思いたったというわけである。考えてみると、持っている地盤工学の本は、古くはなっているが古本ではない。それぞれ、歴史的に価値のある本である。そんな思いがあって、題目が「地盤工学古書独白」という、厳めしく、時代物的になってしまった。


48年型土質力学
 私が、大学で斎藤迪孝先生から「土質力学」の講義を受けたのは、1955年(昭和30年)の時であった。当時、どの専門分野においても教科書が乏しく、授業では先生の口述をノートに取る事で精一杯だった。ある時、先生に「土質力学」の教科書についてお尋ねしたことがあった。そのときに、「土質力学の本を読むならば、1948年以降の本を選ぶ事をすすめます」といわれた。これに該当する本で日本語で書かれたものは、「テルツアーギ・ペック」の訳本と、最上武雄先生の岩波選書「土質力学」ぐらいしか無かったように思う。
 だいぶん後で知ったことであるが、最上先生が「48年型の土質力学」ということを、盛んにいわれていた。これによると、48年型の土質力学はA部門とB部門から構成されているとのことである。A部門は主に自然地盤を対象とした応用力学体系に準拠した部門であり、B部門は土の締め固め、サンドドレーンなどを含む土質改良や、自然地盤そのものに人間が手を加えて構造物を作るといった、いわば人工的土質力学の部門である。そして、端的にわかりやすく、A部門を代表する人物としてTerzaghiをあげ、B部門を代表する者としてProctorをあげている。48年型以後にコンピューターが発達し、それまで計算の出来なかった理論が容易に計算が出来るようになって技術の発展に大きく寄与した。また、一方で、情報化施工が新しく創出され複雑な土質地盤の挙動を的確に予測できるようになった。前者は土質力学体系の拡張を意味するものではないが、後者は土質力学体系の拡張であると位置づけている。


土質力学の分水嶺
 地盤工学に関わる本のどの時代までの本を古書とするべきか、これを定義するだけでも1つの論文になりそうな、大問題であることに気が付いた。今となっては手遅れである。極めて乱暴な論理となることをおそれずに、議論を先に進めることにしよう。情報化施工を含め、土質動力学、カムクレイモデルによる構成式の導入は、48年型土質力学体系に無かった新しい展開であると思う。情報化施工を理論の段階に引き上げたのは、Lammbe,T.W.:Predictions in Soil Engineering, Geotech, Vol.23. N.2(1973)の論文であると思う。土質動力学は1964年の新潟地震による地盤の液状化を契機に研究された一連の成果から創出されたものであるといっても良かろう。カムクレイモデルは、Roscoe,K.H.,Schofield,A.N.and Wroth, C.P,Yielding of clays in states wetter than critical, Geotechniique 13,3.pp.211-240,(1963)の論文で、ケンブリッジ大学の研究者グループが提案した粘土の弾塑性モデルである。カムクレイの名はケンブリッジ大学内を流れるカム川から取ったと言われる。これらの新しい展開は、1960年代以後の事である。Terzaghiの一冊の著書、Erdbaumechanik(1925)は古典土質力学と近代土質力学を分ける分水嶺となった。その後、この著書に匹敵する本を書いた研究者がいないので、48年型土質力学と現代土質力学をどこで線を引くか大変迷うところである。私が、ここで取り扱う現代土質力学以前の古書は、ひとつの目安として1965年までの本を対象にする。


土と水と基礎
 地盤工学という表現は、つい最近定着したものである。古くから現在に至るまで土の強度論、変位問題、それに透水性は、土質力学の理論を構築する基礎をなしている。中でも、私は、Coulombの摩擦則、Hookeの弾性則、Darcyの透水則を土質力学における三大法則だと思っている。これに加え、Terzaghiの有効応力とProctorの最適含水比・最大乾燥密度の発見は、近代土質力学の土台を築きあげたものだと思う。これらの諸法則の上に成り立つ土質力学の理論と、自然地盤・人工地盤と構造物の安定性問題を取り扱うのが地盤工学である。現在の地盤工学会の前身である土質工学会が誕生した当初(正確には、1949年日本土質基礎工学委員会)、1950年に発刊された機関誌名は、「土と基礎」であった。それが現在もつづいている。技術士の建設部門の地盤に関わる専門科目は、「土質及び基礎」である。私が、ここで扱う古書の大まかな内容を「土と水と基礎」としても良さそうである。


5つの課題と学習
 先にも述べたように、私が地盤工学に関わるようになったのは、1955年に大学で土質力学の講義を受けたときからである。卒業論文のテーマは、「杭の負の摩擦力について」であった。論文のための実験は当時国鉄の鉄道技術研究所で行ったが、斉藤迪孝先生と池田俊雄先生から直接の指導を受ける幸運にめぐまれた。それ以来、40数年間、土と水と基礎に関わる仕事を行ってきた。若いころ、自分の知識と経験を蓄積するため、地盤工学問題を次の5つの分野に区分して意識的に学習した。それは、今でも変わらない。

  1. 軟弱地盤の性質と対策:この分野の代表的なテーマとして「盛土」を位置づけた。盛土では、土構造物、荷重応力の伝達、圧密沈下、すべり破壊、地盤改良などの課題を学習する事が出来る。

  2. 地盤と地中構造物の相互挙動:このテーマでは「杭」を代表させた。深い基礎の支持力、周面摩擦力、土圧、弾性地盤上の梁問題などが扱われる。

  3. 地中の流体透過:このテーマでは、「井戸」問題を取り上げた。地下水の流れ、透水係数や貯留係数の求め方、地下水位低下の障害などが学習できる。

  4. 地下掘削による地盤変位:ここでは、「トンネル」で代表させた。とくに、未固結地盤においては、「シールド工法」が最も都合が良かった。これは、私の学位論文のテーマにもなった。切り羽の安定、地表面沈下、圧気工法、地下水位低下工法、薬液注入工法などの研究に良いテーマであった。シールドには立孔の構築がともない、深い土留め対策や、地下水問題は避ける事の出来ない課題である。

  5. 地盤振動とその影響:液状化をはじめ多くの問題があるが、最近は地震波やその構造物に与える影響に関心を持っている。


 これらのテーマと古書がどのような関係を持つのか、今のところ見当も付かない。しかし、古書を独白することによって、何を得ようとしているのか、その意図を明らかにしておかなければ、余りにも無責任すぎるようで気が引ける。大上段に構えた割合には、得るものが少ないかもしれないが、少なくとも次のような事を念頭に置いてある。
  1. 日本語で書かれた本に、どのような本があるかを紹介する。(むしろ、私がどのような本を持っているかの紹介になってしまうだろう)

  2. 1965年頃までの地盤工学と技術に関する全体の流れが掴めるかもしれない。

  3. 古書を整理する事によって、思いがけない発見があるかも知れないという、期待。

記述は、古書の年代順に行うことにする。


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