地盤工学古書独白 第7回
戦前期(1940年以前)編(その6)
小松田 精吉※
(工学博士、技術士 建設部門)
A-15 土の力学 山口昇 著 |
昭和11年10月30日 第一刷発行岩波書店 80銭 |
「土性力学」から「土の力学」へ
前に、A-7の稿で昭和七年に書かれた山口の「土性力学」について紹介し、彼の土性力学観について触れて見た。それから四年後に書かれたこの本では、土に対する考え方がどのように変わったであろうか、大変興味のあるところである。基本的には変わっているとは思えないが、しかし、一歩踏み込んで、自然の土についてかなり意識的になったことは事実であるように思える。
古典土圧論から出発して粉体力学的に土を見るようになったが、それでも土の複雑な性質を全面的にとらえることができない。自ずと土を材料の一つに見立てる「土性力学」へと発展した。あたかも「応用力学」と「材料力学」の関係が、土の世界では「土圧論」と「土性力学」の関係にある、と。そして、自然の土は、「土の力学」としてとらえるまでに至ったように思える。この辺の考え方は、直接、著者の文面から読みとることにしよう。
「一様に土といっても千差万別であり、しかも水その他の影響を受けることが多大であるため、土性論はかなりに複雑な要素を持っている。従って本書でも解るとおり、今日のところ未だ十分に土の性質は明らかにされたとは言い難い。因って、土性論に立脚した土の力学は、未だその初歩的の解決がついた程度にすぎぬと言ってよい。」
鉄道省土質調査委員会活動の成果
この本は、岩波全書81として出版された。今の新書版の大きさで、ページ数が198の小型の本である。しかし、第一編が、土の性質(土性論)であり、土の成因、土の組成、土の液性・塑性限界、透水性、圧縮試験、剪断試験など、戦後の教科書にででくる用語を用いて、記述されている。これには、鉄道省の土質調査委員会(A-4を参照)での活動成果が十分に反映されている。山口先生はこの委員会の一人として理論的な活動をされた。それが委員会の新しい分野を切り開き、全体の技術的力量を向上させたわけであるが、その成果が山口先生自身に大きく跳ね返ってきたものと思われる。
土圧論の歴史的評価
第二編は、土の崩壊力学(土圧論)である。土圧を「土の破壊力学」としてとらえたことがおもしろい。それが故に、土圧論から地盤の支持力へと移行する必然性がよくわかる。さらに発展して、斜面の安定性へと展開される。
ここで注目されるのは、土圧論の歴史がかなり丁寧に、根本にさかのぼって論述されていることである。そして、土圧論を歴史的に分類して、次のように整理されている。
- 二大古典土圧論
クーロン土楔論とランキンの粉体土圧論
- ランキン土圧論の繁栄
Boussinesq, Kotter, Reissner, Karman等の弾性学的理論の発展として表れたる曲面すべり面説
- 曲面すべり面説の実用化
Krey, Petterson, Hultin等の研究
- 粘性の土圧論への導入
Resal, Caquotの理論とFellenius, Terzagi等の実用的解法
- 応用問題
擁壁の安定、法面の安定と地滑りの理論、矢板工の安定等
ブーシネスク、ケグラー、そしてテルツアーギ
最後の第三編は、土の支持力(地耐力論 )である。ブーシネスクの地中応力伝達分布の理論と、ケグラーの基礎底面接地圧と分布の実験的成果(A-10参照)を紹介している。地盤支持力を理論的にあつかった最初の人と思われるプランドル式を取り上げている。
非常におもしろいのは、テルツアーギの圧密理論を地盤の支持力論の一つとして扱っていることである。当然、破壊力学として扱っているわけではなく、沈下問題として説明している。おそらく、地耐力は、支持力と沈下の両面から取り上げるべきだという認識に立っていたためと思われる。間隙水が絞り出されて、土粒子間の応力が増大するメカニズムや、沈下の時間的推移過程を説明し最後に、「ピサの斜塔等の古き建物が数百年に亘って沈下して行くのも或いは上のような(土中水の絞り出し:著者註)作用のためかという説もある。」ことを付け加えている。
この本の構成はこの三編からなっている。
A-16 土圧及び地盤の支持力
エッチ・クレー 著
鶴岡鶴吉 瀧山養 共訳 |
昭和12年 1月20日 初版発行昭和16年
8月25日 5版発行コロナ社 4円50銭 |
早くからテルツアーギを受け入れたのか
クレーが第三版を出したのは、1926年である。その後、第4版は、1932年に出しているが、この序文を書いたのは、Joachimm
Ehrenbergであって、次のような記述が見られる。「Fellenius及びTerzagi教授の研究を考えて凝集力ある場合とない場合の斜面計算を補足しておいた。」と。
「土の剪断抵抗について二三の事項」という項目があるが、ここで粘性土の剪断抵抗について、荷重によって間隙水が過剰水圧となって土粒子間の摩擦力が減少する。そして間隙水は排水することによって自然含水状態が一定になると述べている。ここで過剰水圧と圧密のメカニズムについて述べられているが、訳文のためか、その意味がたどたどしい。テルツアーギの最新の理論を取り入れようと努力している様子がよくわかるような気がする。この最新理論は、この本が出るわずか8年前に発表されたものである。
円弧滑りの解析法
クレー一流の土圧論では、「応力楕円」を見事に用いた土圧計算を披露している。そしてここでもテルツアーギの圧密による土圧の変化を述べている。(私の読み方が悪いのか、過剰水圧を過剰な含水比で説明しているのが気にかかる。)
粘性土の円弧滑り解析は、今では誰でもできる常識的な解析手法であるが、当時、これがそれほど普及していなかったと思う。円弧滑り解法は、スウェーデンの技術中尉K.E.Pettersonが考え出したと言われる。それを改良しSven
Hultin教授が、いわゆるスウェーデン式解法として今でも知られる円弧滑りの計算法を提出した。よく見かける図であるので、この本に紹介されているHultinの円弧滑りの図を再録しよう。
そして、クレーは現在私たちが使っている円弧滑りの計算法をこの本の中で繰り広げている。ここでも、間隙水圧を考慮している。これには感銘を深めるばかりである。
粘着力の導入
詳しくは述べないが、第5章に「粘着力の影響」なる1章をもうけて、粘着力のある地盤について詳しく述べている。少なくとも各国の土質研究家の「土の力学」に関する教科書には、粘着力をきっちり位置づけたものがなかったのではないか。
ここでは、記述している項目だけを挙げるに留めるが、かなり系統的であることがおわかりであろう。
- 1.粘着力の概念とその計算法
- 2.平面滑りを仮定した場合の自由に直立する土壁
- 3.粘着力を考慮した場合の主動及び受動土圧
- 4.摩擦を考慮しない場合の粘着力の作用
- 5.摩擦を考慮しない場合の土圧に対する地盤抵抗力
- 6.地盤の支持力
最後のことば
本の最後に「結語」が述べられている。書かれている言葉は、おそらく現代の技術者の胸に深く通じるものがあると確信する。全文を読みやすい文体になおしてご紹介する。
「本書を結ぶに当たり、言い伝えたいことがあり、少しばかりの紙面をお借りしたい。土圧の問題を解くに当たり、厳正な数値計算を行うことが最大の重要なものではない。目下、問題としている土質に対して入念に吟味し、可能な限り、構造物の挙動に対する精細な考察、構造物の一部が破壊または移動する場合について、構造物と地盤の関連性を吟味することが最も大切なことであることを念頭に置かれたい。このような研究の努力があって初めて、近似計算の方法による安全率の結果が、事実と一致した結果となりうるのである。現実に根拠を持たない微分方程式を用いた見かけ上の厳密計算よりも、すでに述べた近似計算の方が遙かに優秀であることを、繰り返し強調するものである。」
◆◇◆ 次号に続く ◇◆◇

第75圓 Sven Hultin 教授により圓滑り面の計算
Hultinの円弧滑りの図
(土圧及び地盤の支持力より転載)
※ 新協地水(株) 代表取締役会長