連 載 
顔写真 地盤工学古書独白 第10回
戦中期(1941年〜1945年)編(その2)
小松田 精吉
(工学博士、技術士 建設部門)


B-3 基礎地盤の力学
    上野正夫 著

昭和17年4月15日 発行
産業図書 昭和23年三版 150円


近代的で、整然とした体系に感銘
 本の装丁や紙質が極めて悪い。特に、紙質は当時「馬糞紙」といわれたものに近い。戦時中の出版本を象徴する見本かもしれない。しかし、全312ページの力作の著書であると思う。第一に「基礎地盤の力学」という題名が、今日の地盤工学を予見したかのように、新鮮な響きを持って伝わってくる。
 著者が記した肩書きは、井革鉱業株式会社技師となっている。確か住友鉱業の技師のはずである。私の持っている本は、昭和23年三版であるから、戦後、財閥解体により「住友」を名乗ることができなかったのかも知れない。「著者は学窓を出て実務に携わること3年、転じて教壇に立つこと10年余、さらに出て実際技術に専念・・」と、略歴を紹介している。教壇に立ったとは、当時の徳島工高教授の経歴を言うのであろう。そして序文の最後に、「於新居浜市」と記している。言うなれば、一地方の研究者なのである。
 しかし、本の構成は極めて近代的であり、今日の教科書と比べても時代の隔たりを感じさせない。もっとも感銘を受けたのは、「基礎地盤の調査」から始まっていることである。私は、地盤調査(土質調査)が地盤工学に組み込まれたのは、1948年のテルツアーギ&ペックの教科書からだと書いたことがあったが、上野はこれより6年前に「地盤調査」を教科書の体系に組み込んでいたわけである。これは、私にとって大きな発見である。
 そうして、土の物理的な性質、圧密沈下、支持力論、最後に土圧論で締めくくっている。この本は、完全に「土圧論的地盤力学から」開放されたと言ってよいと思う。

土を基礎地盤・材料として捉え、地下水を重視
 地盤調査の章で、地盤問題を解明するためには調査が必要であることを述べ、基礎地盤としてどのように地盤を把握するか、土を材料としてどのような性質を明らかにするか、それに加え、地下水との関係で地盤を把握することの大切さを力説する。
 そして、調査費と調査期間の問題に言及する。「全工費に比較すれば極めて小額であって1〜2%を超過せぬ場合が多い。」と断じている。今日の建設界における「調査費には金をかけたくない」という傾向は如何ともし難い。
 地盤調査技術として諸外国の成果を紹介しているが、中でも、採取した試料をパラフィンでシールする方法とか、Casagrande(カサグランデ)のサンドサンプラー、孔内鉛直・水平載荷試験方法などは、遺跡を探し当てたような驚きである。

圧密・先行荷重・有効応力など
 第6章は、「土の圧密とその時間的経過」についてである。土の圧縮変位を間隙比の変化量で表示しているのは、圧密理論の創始者Terzaghi(テルツアーギ)の影響によることは明らかであるが、圧密弾性係数の概念で説明しているのが面白い。しかも、試験における供試体の圧縮ひずみで求める方法を示し、近似計算に用いられるようにして、実務者に便宜を図っている点はさすがである。
 説明している内容を吟味すると、どうやら「先行荷重」または「圧密降伏応力」のようであるが、これを「地質学的荷重」と表現している。これも納得がいく。
 第7章は、「地盤に作用する荷重」であるが、この中で有効応力に近い概念を、一生懸命に説明している。しかし、内容は余り判然としない。
 第9章「基礎地盤の沈下」は、かなりのページ数を費やして記述している。基礎からの地中応力の重なりによる不同沈下量などについても触れている。この中で、側方変位による基礎の沈下を論じているが、即時沈下に近い考え方のようである。そして、驚いたのは、ボーリング孔内に挿入したロッドに依る「層別沈下計」が説明されていることである。

地盤及び杭の支持力
 第10章が「地盤の支持力」論である。「Terzaghiの支持力公式」として記述しているところがあるが、戦後、いろいろな教科書に盛んに引用されている「公式」の形にはなっていない。地盤の沈下量から引き出された、載荷試験結果に基づく半ば経験式であるように思える。また、砂地盤についてはランキン土圧論の拡大により、粘土地盤についてはすべり面の解析による方法が述べられている。
 地盤反力係数と基礎の剛特性の概念を取り上げている。
 基礎杭の支持力は、杭打ち公式とDorr,Bierbaumerの有名な古典的支持力式を挙げている。その一方で、「負の周面摩擦力」について相当詳しく説明されている。負の周面摩擦力は私の大学卒業論文であった。文献といえば、これもまたテルツアーギ&ペック(1948)の教科書の1ページ程度のみであった。少なくとも、この本に出会う(1959年)まではそう思い込んできた。
 良くぞ戦時中に、地盤の技術体系をここまでまとめ上げたものだと思う。技術、科学の研究成果は、時代や環境の悪条件に理由を見つけて言い訳するのではなく、如何にその困難な条件と戦って克服するかによってのみ、達成されるのだと言うことを改めて教訓としたい。

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