福島県の湧水シリーズ(その23)
−尾瀬ヶ原に竜宮を訪ねる−

谷藤允彦※1・阿部恵美※2 
高橋友啓※3・鈴木麻理子※4

大江湿原


1.竜宮のいわれ

 

 尾瀬ヶ原のほぼ中央、中田代に「竜宮」と名づけられた一対の池塘がある。尾瀬ヶ原には大小無数の池塘があり、高層湿原尾瀬ヶ原を特徴付ける景観をなしている。塘とは「つつみ」で土手のことを意味し、池塘(ちとう)とは、湿原内にある池のことを指す。
 無数にある池塘の中から、なぜこの1対を選び出して竜宮と呼ぶことに成ったのだろうか。竜宮入口の池塘(4m×6m程度の三角むすび型)には、流れ込む表流水(日量数1,000m3程度)はあるが、流出口はない。竜宮出口の池塘(6m×10m程度の風船型)は流入水がないのに流出水がある。入口と出口の池塘は直線で約80m程度離れていて、地表では何のつながりも見られない。竜宮入口の池塘に流れ込んだ水が地下のトンネルを通って竜宮出口の池塘に湧出していると考えられている。
 この地下トンネルから、浦島太郎伝説に登場する乙姫様の住む海底の極楽浄土竜宮城への入口を連想して、竜宮と名づけられたものといわれる。尾瀬ヶ原の池塘群の成因を考えると、幾つかの池塘が地下トンネルで繋がっている例は数多くあるのではないかと思われる。その中でこの1対の池塘を選び出したのは、メインの木道に近く、入口と出口の関係が見やすいということによるものであろう。

上品な紫色のコバギボウシ

 竜宮と呼ぶ場合、尾瀬ヶ原全体、中でも中田代一帯こそ、竜宮のイメージにふさわしい。東に燧ヶ岳、西に至仏山、春の水芭蕉からリュウキンカ、夏のニッコウキスゲ・コバギボウシ・緋扇アヤメ・ひつじ草、秋の全山紅葉・湿原の草紅葉、純白の雪と静寂に閉ざされる冬。四季を通じて尾瀬は人の心の汚れを洗い落としてくれる美しさにあふれている。
 多くの人にとっての竜宮イメージは、絵本と唱歌によってかたちづくられている。浦島太郎が助けた亀に案内されて、鯛やヒラメが舞い踊る海底の竜宮城にいたるという、あの乙姫の住む竜宮である。
 浦島伝説の原型は、室町時代に編集されたお伽草紙の中に見られる。ここでの竜宮は海中ではなく離れ小島にある。春から秋は花々が咲き乱れ、小鳥が鳴き動物達が舞い遊ぶ、冬は雪景色に炭焼きの煙がたなびく、桃源郷として描かれている。この描写は尾瀬ヶ原の四季の姿そのものであり、竜宮の呼び名は1対の池塘ではなく、尾瀬ヶ原そのものに対して与えられるのが似つかわしい。





2.竜宮入口と出口は繋がっているか

 竜宮入口・竜宮出口・その下流でセン沢合流点手前の3箇所で採水し、さらに只見川源流部(沼尻川とヨッピ川合流点)の水質との比較を試みた。(図−1ヘキサダイヤグラム、図−2トリリニアダイヤグラム参照)
 入口と出口、下流の三地点の水質は、溶存成分が少なく、中でもマグネシウムと硫酸イオンをほとんど含まないという共通の特徴があり、非常に近い関係にあることが読み取られる。
 しかし、詳細に比較して見ると、入口と出口では、Ca2+、Na++K+、HCO3−が出口の湧水で多くなっている。この傾向は、下流の水質より鮮明になり、Cl−、Na++K+が更に増加している。このことは、入り口と出口の間でCa2+、Na++K+、HCO3−をやや多く含む水が加わり、下流に向かうにしたがってCl−、Na++K+(塩分)を含む水が流入していることを示している。
 この三地点では、下流ほど水温が高くなっていること、よく似た組み合わせの魚(ウグイを主に岩魚が混じっているようである)が高密度に住んでいる点でも共通している。水質で比較すると、竜宮入口から地下トンネルに入った水は、途中あるいは出口の池塘で別の系統の水を合流し、更に下流に向かうに従って、幾つかの系統の水が合わさっているものであろう。
 竜宮出口にある看板では、「南側から流れてきた長沢の水が、一度池塘のような穴に吸い込まれ、湿原を覆っている泥炭層の下を流れてきたものです」と説明している。竜宮入口の水温が只見川源流部に比べて4℃以上も高いことを考えると、長沢の水が直接入り口の池塘に流れ込んだのではなく、湿原の泥炭層の表層部をゆっくり流れ、入口の池塘近くで再び表流水として湧出したものであろう。
竜宮を巡る水の流れを模式的に図−3に示す。

図1 ヘキサダイヤグラム

尾瀬竜宮(入口)

尾瀬竜宮(下流)

尾瀬竜宮(出口)

尾瀬只見川源流(東電橋)


表1 水質試験結果(2005年7月18日採水)
採水地点 尾瀬竜宮
(入口)
尾瀬竜宮
(出口)
尾瀬竜宮
(下流)
尾瀬只見川源流
(東電橋)
水温(℃)
18.3
19.1 22.0 13.7
pH
6.64
6.48
6.64
7.30
電気伝導度(μS/cm)
23.5
26.2
24.2
45.6
測定項目
mg/L me/L mg/L me/L mg/L me/L mg/L me/L
硝酸イオン(NO3-
0.55
0.009
0.42
0.007
0.55
0.009
0.39
0.006
塩素イオン(Cl-
1未満
0.003
1未満
0.003
1.4
0.039
1.8
0.051
硫酸イオン(SO42-
1未満
0.002
1未満
0.002
2.9
0.060
1未満
0.002
炭酸水素イオン(HCO3-
9.8
0.161
12
0.197
17
0.279
9.2
0.151
ナトリウムイオン(Na+
1.3
0.057
1.6
0.070
1.9
0.083
2.5
0.109
カリウムイオン(K+
1未満
0.003
1未満
0.003
1未満
0.003
1未満
0.003
マグネシウムイオン(Mg2+
1未満
0.008
1未満
0.008
1未満
0.008
1未満
0.181
カルシウムイオン(Ca2+
2.6
0.130
3.0
0.150
5.2
0.259
2.7
0.135
※「未満」表示は検出下限値以下であるが、イオン当量への換算にあたりイオン濃度を0.1(mg/L)として計算した。


図2及び表2 トリリニアダイアグラムと水質区分


○尾瀬竜宮(入口)●尾瀬竜宮(出口)△尾瀬竜宮(下流)▲尾瀬只見川源流(東電橋)



領域 組成による分類 水の種類
I 重炭酸カルシウム型
Ca(HCO3)2

Ca(HCO3)2 、Mg(HCO3)2型の水質組成で、浸透から湧出までの時間が短く、浅層に帯水する地下水(循環性地下水)の大半がこの型に属する。
石灰岩地域の地下水は典型的にこの型を示す。

II 重炭酸ナトリウム型
Na(HCO3)型
Na(HCO3)型の水質組成で、地表から比較的深い位置にあり、岩盤中の亀裂に存在する地下水のように浸透から湧出までの時間が長い地下水がこの型に属する。
III 非重炭酸カルシウム型
CaSO4又はCaCl2
CaCl2又はCaSO4型の水質組成で、温泉水・鉱泉水および化石塩水等がこの型に属する。一般の河川水・地下水では特殊なものであり、温泉水や工業排水等の混入が考えられる。
IV 非重炭酸ナトリウム型
Na2SO4又はNaCl型
Na2SO4又はNaCl型の水質組成で、海水および海水が混入した地下水・温泉水等がこの型に属する。
V 中間型 I〜IVの中間的な型で、河川水・伏流水(河川と河床下にある透水層が交わる場所を流れる水で、極めて浅い位置にある地下水といえる)、および循環性地下水の多くがこの型に属する。


図3 竜宮周辺地形図(国土地理院発行「5万分1集成図 尾瀬」より抜粋・加筆)

採水地:只見川源流 ○採水地:竜宮



図4 竜宮を巡る水の流れ模式図


 


3.尾瀬ヶ原の成因
 尾瀬ヶ原は標高約1,400m、東西6km、南北2kmで大部分が高層湿原からなる。四方を山々に囲まれており、それらは北方の景鶴山、北東の燧ヶ岳、南東の皿伏山、南方の白尾山、西方の至仏山等である。このうち燧岳は東北以北の最高峰である。
 燧ヶ岳は福島・群馬・新潟県境にある尾瀬ヶ原の北東福島県南西隅に位置する基底8×6km、海抜2,346m、比高約700mのほぼ円錐形の活火山である。活火山とは概ね1万年前から現在までに活動が確認され、今後も活動が予測される火山のことである。燧ヶ岳は最後の活動が約500年前とされており、今後も活動が予想される。また、燧ヶ岳は複数の火山体から構成され、それらは北から俎板(マナイタグラ) 2,346m・柴安(シバヤスグラ)2,356m・赤ナグレ岳(2,249m)・大橇沢となる。
 尾瀬ヶ原の成因については様々な説があるが、ここでは形成プロセスを尾瀬ヶ原誕生に深く関与する燧ヶ岳の噴火史も含めステージ1〜9に区分した。
【 尾瀬ヶ原形成プロセス 】
ステージ1
 隆起・断層運動等の地殻変動により至仏山および景鶴山の原型が作られ、至仏山を源流とする深い谷が現在の尾瀬ヶ原付近に形成される。基盤となるのは粘板岩を主体とし砂岩・石灰岩からなる堆積岩(秩父古成層)および花崗岩・蛇紋岩からなる深成岩である。これらは鳩待峠・至仏山・岳ヶ倉山・景鶴山の中腹付近(堆積岩)および平滑ノ滝・三条ノ滝(深成岩)で観察できる。


ステージ2(数100〜数10万年前)
 三平峠付近で流紋岩溶岩が噴出する。さらに時期を同じくしてアヤメ平、皿伏山、大江山などの噴火活動により形成された侵食谷を安山岩溶岩が埋める。
このような火山噴出物による埋め立てと侵食をその後も幾度となく繰り返し、最終的には至仏山を源流とする只見川、檜高山を源流とする沼尻川が流れる地形となる。
ステージ3(35万年前)
 燧ヶ岳の土台ともなるべき火砕流台地が形成される。この火砕流はモーカケ火砕流と呼ばれ、桧枝岐上流付近から噴出し、現在の尾瀬沼南西に達している。火砕流噴出に伴いステージ2以降に形成された侵食谷が埋められる。これにより当時桧枝岐川に注いでいたヨッピ川の流路が変わり、現在の尾瀬ヶ原を通り只見川へと注ぐ流路となる。
ステージ4(10万年前)
 大橇沢の円錐火山が形成される。大橇沢火山から噴出した安山岩溶岩と火山砕屑物は只見川をせき止める。またこの火山活動により、火山砕屑物で埋め立てられ尾瀬ヶ原盆地が形成される。大橇沢火山から流出した溶岩流の先端は渋沢大滝に達している。
その後中心火道をやや南東に移し、現在の円錐火山(柴安)が形成される。
ステージ5(約4万年前)
 尾瀬ヶ原湿原の泥炭堆積が始まり湿原が形成される。しかし、この湿原は周囲の崩壊土砂で埋められる。このことは、尾瀬ヶ原内でのボーリングデータ等から明らかにされている。
ステージ6(1万9000年前)
 柴安北東の山腹2ヶ所で側噴火が発生し、重兵衛池溶岩流が流出し、熊沢田代溶岩ドームが生じた。これらは同時もしくは相次いで噴火したものと考えられる。
ステージ7(8000年前)
 沼尻岩なだれが生じる。この岩なだれは柴安と俎板中間付近で発生し、約3×107Gもの土塊が瞬時に滑り落ちた。御池岳と赤ナグレ岳を取り囲む南に開いた馬蹄形崩壊壁はこの岩なだれを供給した痕跡である。この岩なだれは多くの流れ山地形を残し、沼尻川をせき止める。沼尻川がせき止められることにより尾瀬沼が誕生することとなる。
ステージ8(7000年前)
 土砂で埋まった尾瀬盆地は河川の氾濫等で多湿化し、現在へとつながる尾瀬ヶ原の湿原形成が始まる。
ステージ9(500年前)
 柴安・俎板・赤ナグレ岳に囲まれた空間に御池岳溶岩ドームが生じる。この溶岩ドームは大変穏やかに出現したらしく、噴火の歴史を書いた古記録は残されていない。噴火末期には頂上付近で水蒸気爆発が生じ、北東の桧枝岐方向に白色の火山灰を降灰させた。


 湿原の形成は1陸化型、2氾濫型に区分されるが、尾瀬ヶ原は河川の氾濫水が後背湿地にあふれ、寒冷気候で長い間氾濫水が停滞した多湿状態が続き泥炭の堆積が生じたものと考えられる。


4.竜宮への案内
 尾瀬は日光国立公園の特別保護地区で、四季折々の美しい景色が人々を魅了する人気の登山コースです。今回は、私たちの辿ったコースで竜宮の湧水地点までご案内します。
前日桧枝岐村で宿泊し、登山日早朝、車で国道352号線を南に進みました。途中、モーカケの滝の看板に誘われて観光しながらも(ちょっと急ぎつつ)、30分ほどで御池駐車場に到着しました。

モーカケの滝

モーカケの滝展望台にて


 身支度を整えて、御池駐車場から沼山バス停行きのバスに乗り込み、8時、沼山峠から登山開始。丸太の階段を一気に登り切ると展望台があり、整備された木道を下っていくと尾瀬沼が見えてきます。大江湿原では満開のニッコウキスゲが迎えてくれて、湿原一面に広がる鮮やかな黄色の花に感動して歩みが止まるほどでした。とはいえここは木道、それでは後が詰まります。ワタスゲやカキツバタ等、他にもたくさんの植物に出会いを楽しみながら歩き続けました。

大江湿原のニッコウキスゲ

尾瀬沼

大江湿原からの燧ヶ岳

尾瀬沼のカキツバタ


 4.2kmを歩き、三平下に到着してしばし休憩、そこから尾瀬沼南回りで沼尻を目指しました。時々木道が一本になるので気をつけて、行き交う人々と挨拶をしながら進みました。歩きながら尾瀬沼の向こうに見える東北最高峰の山、燧ヶ岳の眺望は最高です。木道に沿って3.0km、沼尻に到着です。尾瀬沼に別れを告げて、西に向かってしばらく歩くと木道から山道になります。白砂峠を越えて再び木道になり、5km先の見晴までいくと尾瀬ヶ原に入ります。見晴から1.6kmほど歩くと目的地の竜宮に到着します。

三平下からの尾瀬沼と燧ヶ岳

見晴から竜宮までの木道

見晴から竜宮までの木道

竜宮付近のベンチで昼食


 竜宮十字路から南西(山の鼻方面)へ200m〜300m歩くと、小さな迂回路が見つけられます。南東方向(向かって左側)に進むその小さな木道を50mほど歩くと直径4m位の竜宮の入り口があります。本道に戻ってもう少し山の鼻方面に進むと今度は北西方向(向かって右側)に進む迂回路があり、その木道を20mほど進むと直径6m位の竜宮の出口があります。
名前の由来は、大正10年(1921年)夏に関東水電(現東京電力)が尾瀬ヶ原の測量時に富士見小屋主人の萩原武治らが発見して、長沢の水がそっくり穴の中に流れ込んでしまうのを見て驚き、この穴は竜宮まで通じているようだということで呼ばれるようになったそうです。


図-6 今回のルートマップ

竜宮付近で燧ヶ岳をバックにして


山名 尾瀬ヶ原
日付 7月18日
天候 快晴(関東梅雨明)
谷藤・佐藤・山家・高橋・鈴木
地点名
到着時間
休憩時間
スタート
ガイド時間
区間時間
累計時間
備考
御池
7:58
御池駐車場から元気にスタート
尾瀬沼
8:47
0:05
8:53
1:00
0:49
0:54
快調に登り、大江湿原からの景観に驚嘆
三平下
9:09
0:12
9:21
0:20
0:16
1:23
尾瀬沼南回りで三平峠を目指す。燧ヶ岳の展望最高
沼尻
10:06
0:15
10:22
1:00
0:44
2:24
尾瀬沼の辺を軽快に飛ばす
見晴
11:29
0:05
11:35
1:40
1:07
3:36
白砂峠越え、まだまだ元気、軽快に歩く
竜宮
11:58
1:41
13:40
0:30
0:23
5:41
尾瀬ヶ原の全貌に感激、竜宮十字路で大休止そして調査
東電小屋
14:10
0:10
14:21
0:50
0:30
6:23
一仕事を終え帰路、そろそろ全員に疲れが
温泉小屋
15:04
0:13
15:17
0:45
0:42
7:18
ところてんで栄養補給し段吉新道を行く
天神田代
16:31
0:04
16:36
1:30
1:14
8:37
全員無口に、ただひたすら燧裏林道を黙々と歩む
御池
17:34
1:10
0:58
9:35
小雨の中黙々と、全員元気(カラ)で無事下山
     採水地点      1406         沼山峠       1789  
歩行時間
6:46
歩行距離
29.2 km
標高差
休憩時間
2:49
山行総時間
9時35分
383


参考文献:
川内輝明編,1994,尾瀬自然ハンドブック,自由国民社,p16,18,19.
早川由紀夫・新井房夫・北爪智啓,1997,燧ヶ岳の噴火史,地質学雑誌,106,5,660-664



※1  新協地水(株) 代表取締役会長 ※3  新協地水(株) 技術部
※2  新協地水(株) 技術部
     ※4  新協地水(株) WPC事業部


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