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代表取締役社長 佐藤
正基 (RCCM 土質及び基礎) |
田代山そして帝釈山は、尾瀬の東方福島県と栃木県を隔てる帝釈山地の中央に位置しています。帝釈山地は、2000m級の山々がつらなり関東北縁の分水嶺となっており、豪雪地帯ならではの地形を形成しています。中でも田代山(1971m)は、茶碗を伏せたような独特な山容をしており、頂上は広大な湿原になっていて明るく開放的な雰囲気に包まれています。登山を始めたばかりのころ旧舘岩村の観光案内所で頂いたパンフレットに載っている航空写真をみて「こんな山ってあるのだ」と驚いたことを今でも鮮明に覚えています。帝釈山(2060m)は、最近まで身近な登山ルートがなく幻の名山と呼ばれてきましたが、山裾を通る桧枝岐村からの林道が整備され、気楽に登ることができる2000mの山となり人気の高い山となっています。 私は、2002年から初夏に開催される県内の山開きに参加することが楽しみとなりました。山開きに参加したものだけがもらえるピンバッチが大きな魅力の一つですが、名前も知らない山友達との再会も大きな楽しみです。平成17年の会津地域の山開きは豪雪に伴う融雪で登山道の安全確保が困難ということで、例年参加していた幾つかの山開きが中止になってしまいました。そんな時、蒲生岳(会津のマッターホルン)の山開きに参加した折、しばらくぶりに再会した山友人(名前は分からない)から6月12日に行われる田代山の山開きに「来てみたら」と誘われました。私自身、田代山へは湿原に咲く花々そして紅葉の美しさを満喫するため4度ほど訪れています。そうした中から今回は、舘岩村としては最後の山開きとなった「残雪と展望の田代山・帝釈山ルート」を紹介します。
沢沿いに登り水場に出てから急登が続き、木の根や石で歩きにくい道を行く。やがて樹林がコメツガに変わると傾斜も緩やかになり、ぬかるみも増え小田代の湿原に出る。登山者が多い山開きならではの一列歩行、前後の人たちと会話を楽しみながらのスローペース。相棒は、絶好調とばかりにどんどん追い抜いて一人で先に進んでしまった。小田代で休む人たちと別れ先を急ぐ。分岐を左に進みジグザグ急登すると、頂上部の田代湿原の端にヒョイという感じで登りつめる。湿原には木道が敷かれ、西方を見渡せば、雪に覆われた会津駒ケ岳・三つ岩岳が目前に聳えており、360度の大展望が広がっている。木道を先に進むと右に弘法池と呼ばれる地塘が現れる。満々と水をたたえる弘法池を見るのは初めてであり、これだけの湿原を維持するのに必要な相当量の雪の多さにあらためてびっくり。まだキンコウカ(7月下旬頃に大群落が広がる)には早いものの、ところどころにイワカガミが観られ疲れを癒すのに十分な風景となっている。
木賊温泉からの道が合流し、湿原を緩やかに登ると田代山最上部に至る。このあたりから木道に腰を下ろして休んでいる人たちが多くなる。樹林帯に再び入ると、登山口から1時間20分で避難小屋(正式には、弘法大師堂)に到達し、先に着いて小休止をしていた相棒に合流。なにやら気まずい感じで行動食を進めてくる。理由を聞くと、私の至福の楽しみである頂上でのビールを車の中のクールボックスに忘れてきたとか。自分で確認しなかったことを後悔しつつ、怒りを静め展望の帝釈山への道を進むことに。 ここから先は残雪があり踏み後を確認しながら、10分ほど下り鞍部に出る。そこからトラバースして行き枯木や倒木が多い樹林帯を急登。頂上直下の岩が露出した急斜面を這いつくばってよじ登ると避難小屋から55分で帝釈山頂上に着く。時間的にまだ早く休んでいるのは数グループのみ。燧ヶ岳・日光連山が望まれる絶好のポイントをキープしてラーメンとお握りの昼食を取る。時折聞こえる「プシュツ」という音に、こみ上げてくる喪失感を抑え、景色を堪能していると全く気にしていない相棒が、「ビールが無くても山の景色は最高だね」と、のんきな事を言ってくる。「まったく」と思いつつ、次から次に登ってくる人たちに場所を譲るため、大展望の山頂を後に、登山口までただひたすら、温泉につかり至福の時を満喫することだけに集中して下山をすることに。
***絶頂期を迎えた田代山の高層湿原***
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