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地盤工学古書独白 第21回 戦後期(1946〜1960年)編(その9) |
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著者、主として森博氏について 著者は当時東大教授の最上武雄と株式会社土質基礎調査所所長の森博である。二人の年齢がおよそ10歳ほど違うと思うが、二人は師弟関係で東大土木工学科の先輩後輩である。 森博氏は、中央開発株式会社に就職され、昭和28年頃に株式会社土質基礎調査所を設立し、わが国における土質調査の専門企業を確立した先達の一人である。森博氏がこの本を書いたとき、30歳前後の若さであったと思う。この本の原稿を書き上げ、しかも株式会社を設立した直後にカリフォルニア大学に留学された。 十数年前、土質工学研究発表会の各セッションで、会場の前の席で若い人たちの研究発表を熱心に聞き入っている姿を見かける機会が多かった。研究熱心な方である。自分も、将来年をとってもかくありたいと、感じ入ったものである。 当時、「物理探査」の日本物探、「地下水処理」の中央開発、「土質」の土質基礎調査所、「地質」の応用地質といわれるぐらい、それぞれの専門調査企業が設立した時期であった。「土質基礎調査所」はその後社名を変更し、現在、「基礎地盤コンサルタント」として業界のリーダーの役割を果たしている。 222本のボーリングの中で数本のボーリングで貫入試験を行っているが、いずれも標準貫入試験の規格以外で行われている。例えば、ハンマーの重量が188kg、落下高さ20cmのものが多い。標準貫入試験規格に近い方法が2本あるが、それでもハンマーの重量が60kg、落下高さ70cmである。いかに苦労して貫入試験を行ったかが伺える。だからこそ、わが国の土質調査の先駆的輝きが失われていないのである。
貴重な小冊子 その後、土質工学会は急速に発展を告げ、この本が「土質試験法」(赤本)と「土質調査法」(青本)に変わり、10年ごとに改訂されるようになった。現在地盤工学会となって、「土質試験の方法と解説」と「地盤調査の方法と解説」に変わった。この原型がこの「土質試験法解説」である。 「日本における土質の工学的研究は山口昇、渡辺貫両博士等による鉄道省の土質調査委員会の設立が端緒であると考えます。」戦後「日本においても土を利用する技術分野において土木、建築、農業、鉱業等業種の如何をとわず共通のものとして、一般的に使用できる土の工学的性質の判定方法がJISとして定められるに至りました。」「解説の執筆者はそれぞれ専門の研究者で実地に自ら試験を行い、また試験結果により工作物の設計施工に関係された方々でありまして、現在日本においてはこの方々以上の適任者はないと言っても過言でないと思われる方々であります。」 編集委員長・・・・・福岡正巳
本を買った動機 私がこの本を見つけて購入したのは、1958年(昭和33年)2月23日、「日本にこういう研究文献が少ない。そういう点で興味深い著書である。」と、若僧がもっともらしく裏書している。就職してからまだ1年も経っていない時期であるので、いささか興奮したのであろう。 著者は、昭和9年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業されて、昭和24年鹿島建設技術研究所の創立以来、土木部長を勤められた方である。この期間の研究成果をまとめた著書である。 このため、多くの室内模型実験を行い浸潤腺の解析理論を確立し、それによる透水量を求めた。この研究はフイルダムの経済設計に大きく貢献したと考える。 この研究書がどれだけ売れたかは知る術もないが、一民間研究所がこうした研究成果を本にして世に出版した勇気と心意気にはただただ敬服する。現代では考えられないことである。 ---次号へ続く--- ※アートスペース工学(株)代表取締役 新協地水(株)技術顧問 |
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