【環境特集2】ダイオキシン類は地下水に影響を与えるか
研究開発室  五月女 寛

 先日、ある施設の水源井戸を計画する際、地下水にはダイオキシンの影響は及んでいないのかといった質問を受けました。その場は断片的な話で終わったのですが、地下水を扱うコンサルタントとしては、この際しっかり勉強しておかなければと考えまして、自分なりに調べてみることにしました。

1. ダイオキシン
1.1 ベトちゃんとドクちゃん

 ゴミの焼却場や廃棄物処理場に関係する問題として、「ダイオキシン」という物質について最近よく耳にしますが、以前にもダイオキシンが話題になった時期があります。それは、ベトナムから『べトちゃんとドクちゃん』という、四肢に生まれながらの奇形をもつ子供が治療のために日本にやってきたときでした。
 第二次べトナム戦争(1961〜1973)の当時、アメリカ軍がゲリラの隠れるジャングルを丸裸にするために、枯葉剤という化学薬品を航空機から多量に散布しました。その中に、少量でも非常に強い発癌性と催奇形性を及ぼす猛毒物質ダイオキシン類が混入していたため、それを体内にとりこんだ人々は、戦争が終わった後もガンで死の苦しみを味わい、生まれてきた子供たちにはさまざまな奇形が現われました。そんな子供がべトちゃんとドクちゃんだったのです。
 べトちゃんとドクちゃんは人々に衝撃を与え、戦争のもたらす残虐性とともにダイオキシンなどという得体の知れない人工物質への恐怖を知らしめました。いまでは、「環境ホルモン(内分泌かく乱物質)」としても注目を集めています。

1.2 ダイオキシンはいっぱいある
写真  ダイオキシン類のお話を進めるには、どうしても小難しいカタカナ名の化学物質の名前が出てきてしまいます。ちょっと我慢してもらって話をすすめます。

 調べてみれば、ダイオキシンと一言でいっても、ある個別の物質名ではなく、じつは複数の物質からなる総称です。

 1998年現在、日本をはじめヨーロッパ諸国やカナダでは、ダイオキシン「ポリ塩化ジベンゾ−p−ジオキシン(PCDD):75種類」と「ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF):135種類」の同族体からなる物質群を『ダイオキシン類』と称して、法的基準値が設定されています。一方、学問的にはコプラナーPCB(Co-PCB)を加えて『ダイオキシン類』としてリスク評価がおこなわれています(宮田, 1998)。こんなにたくさんの種類があるのですね。

 ダイオキシン類ははじめから作ろうと思って作られたのではなく、副産物として非意図的に生成されます。その発生源は、おもに塩素系漂白剤(殺菌剤)、有機塩素系薬剤(おもに農薬)と、今、ごみの焼却場や塵芥の埋め立て処分場で問題になっているような燃焼過程、の3系統が考えられています。

 我が国でおこなわれているダイオキシン対策はこの3種類の発生源のうち、現在、燃焼系について重点的に進められてきています。その大きな理由はダイオキシンの最も大きな発生源であるという観点からです。つまり、燃焼系から出てくるダイオキシン類の発生量を低減できればダイオキシン問題はかなりの部分が改善できるということでしょう。また、残る2つの発生源については、問題となる薬品を使用禁止、製造禁止にすれば、新しい汚染は発生しなくなるということで、すでにその方向で対応がされているようです。

2. 許容一日摂取量
 それでは、土壌や地下水中のダイオキシン類の実態を述べる前にどのくらいの濃度で、線引きがなされているのか各国の許容一日摂取量と環境基準をみてみましょう。

表1. 各国におけるダイオキシン類の許容一日摂取量(TDI)
または実質安全量(VSD)

国名あるいは規制機関名 TDIまたはVSD
(pgTEQ/kg/日)
日本 10
カナダ 10
WHO欧州地域事務局 10
オランダ 10(現在1を提案中)
スウェーデン 5
ドイツ 10(目標値1)
イギリス 10
イタリア 1
米国環境保護庁 0.01 ※※
米国カルフォルニア州 0.007 ※※
米国食品医薬品庁 0.06※※
※ :ダイオキシン類を発癌物質として、閾値なしの立場で設定した値
※※:実際の規制値である35pgTEQ/kg/週を一日当たりに換算した値
pg:ピコグラム。Pico.1兆分の1グラム。
ちなみに、ng(ナノグラム)は10億分の1グラム。

TEQ:毒性当量(TEQ: Toxic Equivalents)のことで、ダイオキシン類のそれぞれの異性体の毒性を2,3,7,8‐テトラクロロジベンゾ−p−ジオキシン(2,3,7,8‐TCDD)に換算して合計したもの。
ダイオキシン類の中で2,3,7,8‐TCDDが最も毒性が強いことから、多くの毒性試験がこの化合物単体について行われている。したがって、ダイオキシンの定量値については、各異性体ごとに設定されたI-TEF(International Toxicity Equivalency Factor,国際毒性等価係数)を用いて2,3,7,8‐TCDDの毒性を1としたときの相対的な量(毒性当量:TEQ)に換算した(環境庁、1997)。

 ここでおわかりのように、いろいろなダイオキシン類の毒性はそのうち、一番強い毒性を持つ2,3,7,8‐テトラクロロジベンゾ−p−ジオキシン(2,3,7,8‐TCDD)に換算して表示します。確かに、個別のダイオキシン物質を1つ1つ表示していては収拾がつかなくなりますし、比較するのに大変ですよね。それにしても、なんと微量なことか。ここにつかわれている単位を見てください。pg(ピコグラム)という単位が使われています。日本の場合、許容一日摂取量(TDI)で10pgTEQ/kg/日ですから1000億分の1グラムということになります(カルフォルニア州に至っては1000兆分の7グラム!)。気が遠くなるような微量ですが、それほど危険な化学物質であるという証拠です。

3. 地質環境中のダイオキシン類
3.1 ダイオキシン類は腰が重い?

 地下水がダイオキシンに汚染される危険性について、結論からいえば、ほとんどその可能性は0に近いといわれています。なぜかといいますと、幸か不幸かダイオキシン類は土壌環境に存在するかぎり、その分布は比較的表層部にかぎられ、また環境移動が小さいことがたしかめられている(脇本、1989)からです。

 ダイオキシン類は土壌中では土粒子に吸着されてしまうため、その土粒子の移動が起きない限り移動できません。また、油脂類には可溶ですが、水に対しては不可溶性であるため、水に溶解して移動することができません。そのため、地層の深度方向の移動はほとんどできず、植物の根からの吸収も少ないこともダイオキシン類の特徴の一つです。
 ところが、表流水だとちょっと事情が異なってきます。なぜなら、大雨などによって汚染された土壌の土粒子が水と一緒に移動してしまうからです。表層部の土粒子が直接流入する河川や沿岸海域では、魚やその他、生物の体内に汚染された土粒子を吸い込むことによって、ダイオキシン類は主として体脂肪の中に蓄積されていきます。さらに、その生物を餌として捕食すれば、どんどん体内のダイオキシン濃度は増加するということになります。

3.2 どこの土にダイオキシンは多いの?

表2.日本各地における土壌の(PCDD+PCDF)濃度 宮田(1998)より
都道府県 採取地点 濃度(pgTEQ/g)
大阪府 枚方市内大学運動場 6.7
大阪府 枚方市内公園 16〜18
和歌山県 田辺市 5.1
奈良県 奈良市高の原 12
福岡県 大都市公園 4.4
福岡県 大都市周辺地域 1.7
福岡県 中都市周辺の公園 6.9
福岡県 工業都市中心の公園 35
福岡県 杉林 65
愛媛県 都市域公園7ヶ所 5.5
愛媛県 山間地域13ヶ所 4.5
愛媛県 神社境内4ヶ所 35
愛媛県 水田13ヶ所 120

 日本では、意外なことに様々な土壌のうち、水田土壌に含まれるダイオキシン類が他の土壌に比べて多いことがわかっています。これは、今問題になっている燃焼起源のダイオキシン類というより、かつて、水田などで盛んに使われていた除草剤PCP(ペンタクロロフェノール、1996年使用禁止)と除草剤CNP(クロルニトロフェン、1975年使用中止)に不純物としてダイオキシン類が含まれていたため、水田土壌のダイオキシン類の濃度が高くなってしまったわけです。もっとも、先ほども触れたようにダイオキシン類は根からの吸収がほとんどされないので、その影響が米にでることはあまり気にしなくてもよいようです。むしろ、大気中に含まれるダイオキシン類が直接接触し、それをそのまま摂取する機会の多い葉物野菜やそれを食べた牛の牛乳のリスクが気になるところです。

3.3 どのくらいまでの深さまで入り込むのか
 脇本(1998)は松山平野で水田土壌中のダイオキシン類の深度方向における状態をつぎのように調べています。
 『調査した層位別土壌は、松山平野内で、稲の刈り取り後の水田を深度50cmまで2.5cmおきに採取した。表層から2.5cmまでの濃度を1.0とし、その層以下を換算してグラフを作成した(図1)。図の左側はPCDDsで、右側はPCDFsを示している。どちらも表層から漸減し、25.0cmでは検出限界以下になっていた。
 水田でダイオキシン類が検出されなくなる層が25cm付近になる理由は、ここが鋤床で上下攪乱が起こる境界線と考えられる。かなり高濃度のダイオキシン類が存在するのに鋤床以下には浸透しないことを示している。また、表層から25cmまでのダイオキシン濃度には若干の濃度勾配が認められる。これは土壌を湛水して攪乱し、そのまま放置するため、沈降しにくい粘土粒子が表層に比較的多くなることも一因と考えられる。一方、水田土壌内の還元性が高まっているので、有機塩素系化合物にとっては脱塩素や、あるいは嫌気性微生物による分解も起こることが、OCDDよりもT4CDDsのほうが減少していることから伺える。』
 と、このように考察しています。
 また、海外でも同様に、Brzuzy, LP., Hites, R.S(1995)は米国ミシガン州とグアム島の土壌表層部におけるダイオキシン類の濃度分布を測定しています(図2)。その結果、さきほどの日本での事例とほぼ一致した、浅層部での濃度の漸減を示していました。これらのデータはダイオキシンの汚染が地下深部には及んでいないことをうかがわせます。

図1.水田土壌での層位別ダイオキシン濃度勾配
写真

図2.土壌表層部へのダイオキシン類の局在
写真

場所 サンプリングの深さ 出典
ドイツ 耕地、攪乱された土地(基礎調査) 0〜30cm UBA(ドイツ環境庁、1992)
牧草地、攪乱されていない土地(基礎調査) 0〜10cm
オランダ ・オランダ全土に40kmの格子をかけ、交点近くで測定(バックグラウンド測定)
・20年間耕作されていない耕地
0〜5cm
及び
5〜10cm
RIVM(オランダ国立公衆衛生環境研究所、1994)
アメリカ ミシガン州、インディアナ州等(土地の用途不明) 0〜30cm
30〜60cm
60〜90cm
Brzuzy,L.P.,   Hites,R. S.(1995) Environmental Science & Technology 29,No.8
ミネソタ州内、非耕作地 0〜2.5cm
(1インチ)
Reed, Lほか(1990)
Chemosphere 21, No.1/2
イギリス ドンカスター州(できるだけ土壌の攪乱のない地点) 0〜5cm Stenhouse, I. Aほか(1990) Chemosphere 21, No.4/5

 また、各国の汚染状況を調べるための土壌採取深度(表3)をみてみますと、最大でも90cmであり、それ以上の地下浸透は考えていないということのようです(作業性の問題もあるかも知れませんが)。

 したがって、環境移動の少ないダイオキシン類の性質からすれば、(地表水が直接浸透する可能性のある浅層地下水は別にして、)ある程度の深度にある地下水中のダイオキシン汚染は、意図的に注入でもしない限り自然状態で生じている可能性はかなり低いものと考えてよいのかも知れません。そもそも表層部の物質が容易に地下深部まで浸透し得るのであれば、平野や盆地の地下水は農薬や化学物質で、ダイオキシンの問題が出る以前に、すでにどこも使用できなくなってしまっていたでしょう。
 むしろ、一定の深層に存在する地下水は、何枚もの地層に守られた水ですから、水質的には表流水よりも安定といえるでしょう。仮に、地表水が汚染されて飲めなくなっても、飲める水として最終的に残るのは地下水になるだろうと思います。

 ただし、そういった地下水でもダイオキシン類以外のさまざまな人工化学物質汚染の危機にさらされていることもまた事実です。最近では、名古屋で土壌中から環境基準の16000倍という高濃度のトリクロロエチレンが検出されて大きな社会不安をもたらしています。われわれは、このかけがえのない地下水をどう保全し、どう利用すべきかを考えていかなければならない時期に来ていると思います。

4.まとめ
・土壌中のダイオキシン類は農薬(除草剤)起源のものと、廃棄物の燃焼などによって空中降下してくる性質のものがある。
・ダイオキシン類はその性質上、水には不可溶で土壌表層部に土粒子に吸着されて留まる性質をもつ。そのため、土壌汚染物質としては広く認められているものの、地下深部の地下水への影響は認められておらず、地下水汚染の主原因物質としては重要視されていない。
・ダイオキシン類はむしろ、葉物野菜、牛乳、食肉、魚介類から人体に取り込まれるリスクのほうがはるかに大きい。
・地表の影響をうけない地層に存在する地下水は水道水よりも人工有害物質に対して安全であり、むしろ、安定した水質と水温を持っているという特性を様々な形で利用できるといったメリットをもたらす。
以上

【参考文献】
1)Brzuzy, L.P., Hites, R.S(1995):Environmental Science & Technology 29, No.8
2)環境庁 (1997):平成8年度食品中のダイオキシン類等汚染実態調査報告について
3)環境庁 (1998):ダイオキシンに係る土壌調査暫定マニュアル
4)宮田秀明(1998):ゴミ焼却からの土壌汚染について、第23回日本環境化学会講演会予講集
5)脇本忠明(1998):農用地土壌におけるダイオキシン類の分布と動態、第23回日本環境化学会講演会予講集


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