雑感
遺伝子解明で病気追放は可能か

代表取締役 社長 谷藤 允彦
(技術士 応用理学部門)


病気の遺伝子
遺伝子イメージ  遺伝子を解読する研究が進み、人間についても相当のところまで解明されてきている。8月11日NHKで放映された「遺伝子―第6集『パンドラの箱は開かれた』―未来人の設計図」は、人間の遺伝子研究についての最前線レポートであった。
 この中で思わず耳をそば立てさせられたのは、ある種の病気と遺伝子の関係についての研究であった。
 年齢的には少年であるにもかかわらず、顔つきや体型は老人のものになってしまう病気の研究を通して、老化のメカニズムが解明されつつあるらしい。秦の始皇帝が追い求めた不老不死の願いが実現するかもしれない、そんな期待さえ持ってしまいそうであった。これまで遺伝的な要素によって発生することが知られていた病気のほかに、関節リウマチなどいくつかの病気をもたらす遺伝子が特定できる様になってきたという。
 家系図をもとに何世代か前まで遡って病気と遺伝子の関係を調べることによって、特定の病気に関係する遺伝子を解明できると言う発想で、家系図と血液を集めて分析する試みが始まっている。


アイスランドの試み
 アイスランドは、人口の移動が少ないので、バイキングの時代まで(千年前まで)遡る家系図が容易に入手出来る。血縁関係と遺伝子・病気の関係を解明し易い条件にあるということに目をつけた、アメリカの民間研究所が全国民の遺伝子情報を集め解明するプロジェクトに着手している。アイスランド政府の支援の下に、すでに全国民27万人の内1.3万人分の遺伝子(血液)と60万人分の家系図が集められた。アイスランドの保健担当部局ではこのプロジェクトにより国民医療費の相当部分を削減できるとしている。
 病気にかかる危険を減らし、みんなが天寿をまっとうできるようになり、病気治療や介護にかかる社会的な負担が軽くなる、まことに夢のような話である。
 しかし、ちょっと待ってくれと言いたい。
ある病気にかかる遺伝子をなくすと言うことは、その遺伝子を持っている個人や集団を差別することにつながるのではないか。少なくともある遺伝子とある遺伝子の組み合わせがおきないようなコントロールを行うことが前提になるのではないか。
 第二次世界大戦の時期に、ヒトラーはドイツ人が最も優れた民族であるとして、純粋なゲルマン人を作り出そうという実験を行ったが,アイスランドのもくろみはヒトラーの実験と本質的に変わらないのではないか。

多様な遺伝子こそが生物「種」の生命力
 ある病気にかかりやすい遺伝子は、ある環境や条件の下では別の障害に対する免疫として働く可能性をもっているかもしれない。
 人類はこれまで遺伝子に関する知識もなしに、動物や植物を改良し、家畜や野菜として利用してきた。この改良の過程はそれぞれの種のもつ多様な遺伝子組み合わせのうち、人間に有用な特質を生み出す遺伝子組み合わせを選択的に保護し拡大したことに他ならない。人間により改良された家畜や野菜は、人間の保護の下でしか生きられず、自然の中では駆逐されてしまう。遺伝子組み合わせの多様性を失えばその種は滅亡してしまうと言うのが自然の大法則のように思えてならない。
 人間の遺伝子を解明し、老化の原因を取除き、病気をもたらす遺伝子を排除するような遺伝子操作を行えば,病気は無くなり、障害者介護などの社会的な負担も無くなり、人類は平和で幸福になる、というストーリーには絶対に承服しかねる。
 地球上のあらゆる生物は、自然の一部として存在し、それぞれの種は生成・発展・滅亡を繰り返しながら進化を遂げて来た。人類も自然の一部であり,種としての滅亡の時をいつかは迎えることになるというのが自然の法則である。病気をなくす・長生きする・障害者をなくすと言うのは一人一人の立場からは実に切実で異を唱え様のない希望である。この希望に応えるために、として進められているアイスランドの試みは、種の多様性を失い、自らの手で自らの種の滅亡を早めてしまうことに繋がるのではないだろうか。

生物としての多様性と社会生活の多様性の保証
 人類の未来のために、生物の多様性を守る必要があると言うのは、国連環境会議の基本理念の一つである。種としての人類は当然最も多様でなければならない。人間の生物としての多様性と社会生活における多様性の保証は、人類が生存し発展する上で絶対に必要な前提条件ではないだろうか。
 いまわれわれには、こうした多様性と引き換えに健康・長寿・安心・豊かさなどが得られそうだと言う誘惑に打ち勝つ忍耐強さと英知が求められているのである。
 重大な病気に関する遺伝子をもっていると、その遺伝子を残すことが許されないような社会は、プライバシーが乱暴に踏みにじられる社会と表裏の関係にある。
 病気と戦い,障害を得たものが残された機能をフルに活用するために必死にリハビリし、それを支える多くの健常者の努力があり、支え合い助け合って多くの障害を乗り越えるという、その中に本当の生きがいがあるように思う。
 私は、何の心配も無く健康で長生きの余生を送りたいと願わないわけではないが、そのために自分の遺伝子情報を集められたり盗聴されたりする事は願い下げである。その結果、寝たきりになって看護をうけたり、逆に介護する立場になったりしても、それも一つの人生と、しっかり受けとめたいものと思う。


参考資料
 NHKのホームページ 「驚異の小宇宙 人体III DNA・遺伝子」 http://www.nhk.or.jp/dna/

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