地盤工学古書独白 第2回
戦前期(1940年以前)編(その1)
小松田 精吉※(工学博士、技術士 建設部門)

表紙写真  昭和16年12月8日、日本国が宣戦布告なしにアメリカの真珠湾を奇襲し、悲惨な運命を辿る太平洋戦争へと突入した。この前年(昭和15年・1940)以前を戦前期(A)とする。この時代に発刊された地盤工学に関する本で、私の手元にあるのは22冊である。これが多いか少ないかは、見当もつかないが、いずれにしても手に入れるのに難儀した貴重なな古書である。それだけに、1冊1冊をやや丁寧に紹介してみたいと思う。
A-1 鶴見一之・草間偉共著
土木施工法、東京丸善

明治45年(1912)1月25日初版
大正元年(1912)9月22日訂正再販
大正15年(1926)2月23日 
増補改訂第10版
昭和3年(1928)4月 5日 
増補改訂第12版 定価5円



 初版が明治45年(この年、大正元年となった)の本であるが、私が持っているのは昭和3年の増補改訂第12版である。しかも、そのコピーである。
 私が昭和54年から15年間勤務した会社に、私が入社する1年前までこの会社の技術顧問をしていた技術士(応用理学部門・鉱山)木村四郎という私より遙か年輩の氏がおられた。彼からのお誘いで鉱山関係の技術士達の忘年会に参加したことがあった。これが縁で、この会が主催する定例勉強会で、「N値とその歴史」について話す機会があった。その中で戦前に「西尾式貫入試験機」が地盤調査に大きな役割を果たしていたこと、その開発者は、奇遇にも私と職場が一緒の技術士(応用理学)西尾潤四郎氏のご尊父であることを紹介した。この時の勉強会には、木村氏も西尾氏も同席しており、両人は当然旧知の仲であったこともあって、木村氏は痛く感激したらしい。
 それからしばらくして、木村氏がひょっこりと現れて、私が「古ごと」に興味を持っていると思ったらしく、「こんな本があるけれど、興味があったらしばらくお貸します」と云って、持って来てくれたのが、この本である。早速コピーをとって、製本した。

著者について
 著者・鶴見一之の初版序文によると、この本を出版するまでの経緯を大要次のように記されている。「著者は、仙台高等工業学校に工学講習科が設置された際、その講師となって『土木施工法』を講じた。閉講となった後、草稿を修正補遺し、草間氏(工学博士)に校閲してもらって出版することになった」そして、「数学や力学など、高度な理論は避け、初学者向けに書いた」とある。

参考文献から
 この序文の最後に、参考文献リストが付されている。英文書が8、独文書が6、邦文書が9編ある。英文書の中に、「Rankine:Civil Engineering」がある。Rankineは1820年7月5日、Edinburgh(エジンバラ)に生まれ、1870年12月28日にGlasgowで短い生涯を終えた。その土圧論は今に伝わる不朽の業績であるが、1858年の初版本Applied Mechanicsと、参考文献に挙げている1862年の初版本Civil Engineeringには土圧論がごく簡単にしか書かれていないらしい。それは、土木工学者であるRankineが、物理学者のKelvinたちとの交友が深く、当時最先端を走っていた熱力学などと比べ、彼自身土圧論をそれほど重視していなかったのではないか、と最上武雄先生は推論している。
 独文書の一つに、Strukel:Der Grundbau(基礎工法)がある。著者のことは知らないが、この時代に西洋では「基礎工学」なる体系が確立していたことが伺える。
 邦文書の中に、「廣井博士著:築港」と「柴田博士著:工業力学」があるが、著者の氏名がはっきりしないので調べてみたら、廣井勇と柴田畦作であり、二人は、我が国土木工学における偉大な先達であることが分かった。
 廣井勇:文久2年(1862)〜昭和3年(1928)は、築港および橋梁技術の世界的権威であり、東京帝国大学工科大学教授(1899)、柴田畦作:明治6年(1873)〜大正14年(1925)は、我が国の鉄筋コンクリートのパイオニアで、著書「工業力学」および「初等工業力学」は、明治・大正年間の土木工学科の教科書とされていた。
 邦文書の最後に、「土木局編:土木工要録」がある。これは明治14年(1881)8月に、内務省土木局蔵版、定価15銭、有隣堂から出版されたものであるが、この付録(工法の図)が恒和出版から江戸科学古典叢書として、復刻版が出されている。
 このように「土木施工法」はかなり広く文献を調べて書かれたものであることが推察され、ただただ頭がさがる。

改定版の動機など
 先に見たように、何度か改定されているが、その度に本の内容がどのように変わったかを見てみよう。
 第三版の序文(大正2年11月)[原文はカタカナで書かれている]には、「若干の補遺をなすこととせり、一言以て序に代ふ」と簡単に述べられており、大幅な修正はなかったように思われる。増補改訂第10版の序文は次のように記されている。「本書を公にせしより年を閲すること十有余、其間文化は駸々として進み、……メートル法の施行期も公示せられ、従来慣用の単位を統一する必要に迫られたるを以て、此機会に於て、増補改訂をなせり」。これによると、メートル法の施行が増補改訂のきっかけとなっており、いま我々がSI単位に悩まされている状況と似た共通点がありそうで、苦笑を禁じ得ない。しかし、どこまで、どの程度増補改定したかは、はっきりしない。

本の構成
 目次を見ると、第1章から第12章まで、石積工、煉瓦工(付・アスファルト工)、混凝土工(※コンクリートのこと)、土工、基礎工、擁壁工、堰堤及洗堰堤工、橋台工、橋脚工、暗渠工、拱橋工(※アーチ橋のこと)、隧道工の項目で構成されている。この中で、地盤工学に関係の深い項目は、第4章土工、第5章基礎工、第6章擁壁工である。
 特に注目される点を拾って、以下に紹介する。

第4章土工(Earth work)
図1
図1 置き換え土深さの記号
 当時、土の性質をどのような基準で評価していたかを知る上で興味深い。土の性質について、「其の状態千変万化一様に論ずるを得ずと雖ども、一般に吾人の土と称するものの性質に於て共通なるものあるなり」という認識を示し、その土の共通の性質とは、安息角を指しているようである。
 安息角について、「其土自身を積みて自然に崩るるに放置せば或一定の面を探り之よりも緩斜となる事なきに至るものなり・・・此の如き斜面の水平となす角度を称して、其土の安息角(Angle of repoes)或は天然止動角叉は単に息角と云ふ」
 よく見られる軟弱地盤の振る舞い(現象)の一つである化物丁場について、「一夜にして前日の掘鑿地の周囲より崩壊する土を以て埋没せしめらるるを称するものにして決して怪物の所業に非ず・・・・築堤の一夜にして地下に埋没する如き所も化物丁場と称す」
 切り取り斜面の崩壊防止策は、真土、粘土、砂利の3種類に分けて対応する必要があると述べている。本の中に「真土」という土の名称が普段にでてくるが、「マサ土」の事を指しているのだろうか、よく分からない。
 築堤における軟弱地盤対策として、今で云う「置き換え工法」を挙げ、置き換え深さを求める式を示している。



 ここに示された式は、Rankineの土圧論から導かれたものである。この根拠は以下のように証明される。まず上式を変換すると、
図1-2
 式の左辺は、置き換え土底面地盤における荷重であり、これをqとする。図・2において、pとqの関係は、(φ'は、実際には内部摩擦角とすべきであろう)
図1-3
したがって、
図1-4
を得る。


図2
図2 地盤における力の釣り合い


 堤防及び土堰堤築造法を記述した項では、土に対する基本的な姿勢を示唆しているように思えてならない。
 この時代には土の締固めにおける「最適含水比、最大乾燥密度」の概念が確立されていなかったが、この概念をあたかも予期していたかのような考えを示していることには驚く。「土の原料は真土、砂、砂、砂利、及び粘土とす。真土、砂、砂利は水を滲透せざらしむるには粘土の適量を含有せざれべからず、其の量は粒の細租に従て変ずべく一般に論ずるを得ず。此工に用ふる土質の可否は実験によるものを可とす。即ち水と混ぜる際に甚だ凝集力に富み且つ大なる粘着力を有するものを良質となす。然れども天然土質の適否は頗る多くの経験を有する人の判断を仰ぐべきものなり」

第5章基礎工(Pile foundation)
 この章では、地盤調査の重要性を説いている。「地面下には如何なる地層の存在するやを知るに苦しむものなり。故に之を知るため或は試井(Trial shaft)或は穿孔(Boring)をなし之により地下何米の處に何地層の存在するやを知る」
 穿孔方法の一つに、「カヅサボリ」が紹介されている。当時の1日の作業能率を次のように示している。しかし、これには10人の人夫を使用した場合としている。
地 質 掘削深さ(m)
岩盤 0.6〜1.5
砂利玉石 0.9〜3.0
3〜9
15〜45
 現代の我々においても、ボーリング過程で往々にして誤まることの多い転石の判定について注意を促している。「此穿孔をなすに当て注意すべきことは途中に漂石の存在するが如きことあらば之がために往々見解を謬ることあり」
 また、載荷試験とそれによる各種地盤の支持力の経験値を示している。
 杭打ち基礎での記述で面白いのは、鉄杭は高価なので橋梁など、重要構造物の基礎にしか使用しないとしている事や、砂杭は今のサンドドレーン工法に用いるサンドパイルとは異なり、「砂杭は一旦木杭を打ち之を抜きたる孔に砂を衝き入れたる物なれど頗る耐力あり」として使用したようである。
 杭の支持力についてはサンダー公式やエンジニアリングニュース公式など、現在はあまり聞かない式を含む諸外国の杭打ち式を4つ紹介している。静力学公式についてもふれ、杭の支持力機構は先端支持力と周面摩擦力からなっていることを指摘している。

第6章擁壁工(Retaining wall)
 ランキン土圧理論とクーロン土楔論を紹介している。ここですでに、擁壁の安定に関する3つの条件、つまり転倒、押し出し、支持力に対する安定性が説明されている。この安定3条件はかなり古い時代から定着していた設計思想であったと思われる。
 以上、ほんの一部を紹介したが、地盤工学の萌芽期を垣間見たというだけではなく、今にして教えられる新鮮な内容に触れ不思議な感動を覚える。
A-2 川口虎雄・三浦鍋太郎・小溝茂橘・遠藤金市・松本岩太郎・徳弘春美共著
土木工学・下巻、(土質力学・土工・基礎工)、東京丸善

大正8年(1919)1月10日初版
昭和18年(1943)4月15日改版9版
(2,000部) 定価9円66銭

前所有者への哀愁
 この本の初版は大正8年(1919)年であるが、私が持っている本は昭和18年の改版9版である。古本屋で買ったこの本の見開きに「大久保」という朱印が押されている。この本の最初の持ち主は大久保さんという人であるらしいことが分かる。その下の片隅に、「18.5.21 於丸善 待望の書」と万年筆で、几帳面な字で記されている。大久保さんとはどのような人か知る由もない。しかし、私よりはるかに先輩であることには間違いない。
 昭和18年といえば、太平洋戦争の戦況がますます激しさを増し、戦局が曲がり角に差しかかった年に当たる。こういう時代の中、この本が出版された1ヶ月後に9円66銭という大枚をたたいて買い求め、「待望の書」と感激した姿を想像するとき、顔も見知らぬ先輩に尊敬の気持ちとかすかな哀愁を感じる。

初版との違い
 改訂版の序文によると、初版は「土工、土圧、基礎工」の3編から構成されていたようである。この中の「土圧」を改訂版では「土質力学」に含めて記述されている。しかし、土質力学の内容は、初版には全く取り扱っていない新しい分野であることが、次の序文の一部から推察される。[原文はカタカナで書かれている]
 「…特に土質力学に於ては従来全く看過せられ若しくは軽視せられたる事項を検討し以て学会及び技術界の進運に順応せんと努めることにしたのである。」
 初版は文語体で書かれていたが、これを改訂版では口語体に変えている。

軍部に対する気遣い
 「本書に於て術語に英語と独語とを挿入し特に英語を主としたのは一般に英語を使用し来つた読者の便宜を計り少しでも既得知識を利用せん為めであって敢て敵性国語を尊重したのではない」このように軍部に気遣いながら、科学のために努力をなされた当時の苦労を思うとき、「神の国」を思想的支柱にした軍国主義がいかに科学技術の進歩を阻害していたか、計りしれない。

希に見る内容豊かな「ハンドブック」
 この本は、土木工学下巻であって、上巻と中巻があるらしいが、私は拝見したことがない。この下巻は、先に述べたように、土質力学、土工及び基礎工の3編からなるが、第1編土質力学は第1章から第4章まで、第2編土工は第1章から第7章まで、第3編基礎工は第1章から第8章まで、全編通して120項、740頁の大「ハンドブック」である。戦後、昭和39年(1964)に朝倉書店から出版された、村山朔郎・大崎順彦編:基礎工学ハンドブックが出現する以前において、しかも大正・昭和初期に出版されたこの種の本では、異色の大著である。「待望の書」であったことに間違いない。

上野正夫氏の働き
 序文の最後に「本書編集に当り元徳島工高教授にして現に住友鉱業株式会社別子鉱業所技師として活動せらるる上野正夫氏が寄与せられたる非常に大なる援助に対しては実に感謝措く能はざる次第である。」と記されている。
 上野正夫氏は、この本がでる前年、昭和17年に「基礎地盤の力学」という名著を出版されている。この本については、「戦中編」の中で詳しく紹介したいと思っているが、我が国において、Terzaghi(テルツアーギ)系教科書の原形を作った最初の本であると、私は評価している。ここに取り上げた「土木工学・下巻」における「土質力学」は、まさに上野正夫氏が執筆したものであろうと、想像に難くない。
 「土質力学」では、Terzaghiの土の物理学、圧密理論、土圧論、及び支持力理論が紹介されており、これ以前の本の内容とは大きく異なっている。

「土質力学の研究方法」に対する明察
 土質力学の第1章緒論に、土質力学の研究方法の項がある。ここには、実に含蓄のある言葉が述べられている。この本の紹介は、この言葉だけでも十分である。やや長くなるが、以下に引用してみよう。
 「一般に土質工学に関する問題の数学的取扱ひ方は土質が仮令フック(Hooke)の法則に従ふ場合であっても非常に困難な場合が多い。しかるに土の強度的性質はフックの法則から遙かに遠ざかっているために問題を厳密に数学的に取扱ふことは一般の場合に考えられぬ。しかしこれが土質力学の価値を低下せしめることはない。……理論及び模型実験等は単に因果関係の理解を容易ならしむるに過ぎぬから土質力学研究の第一の問題は土を一材料として研究するための実験方法を決定し、その物理的性質を数字的に表す最も合理的な公式を見出すことにある。第二には現場に於ける経験と実験室に於ける研究とを組織的に推敲してその間の関係を求めることである。これら両者の内何れを欠いても土質力学の発展は望まれぬ。要するに土の物理的並に力学的性質を経とし数学的取扱を緯として土質力学を樹てることが研究方針であるといふことが出来る。」
 理論と経験の正しい結合があって、土質力学が発展するのだと説いているのであろう。地盤問題は千差万別の自然対象物を扱うのでそう簡単には分かるものではないといって、理論を軽視する傾向に陥っている人がいる。その一方で、土質問題を何でも数学的に計算できると思い違いして、難しい数式を並べる「空想的土質力学」を信じ切っている人もいる。これはどちらも間違いである。このことを半世紀以上も前に指摘していたのである。



※ 新協地水(株) 代表取締役会長
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