地盤工学古書独白 第3回
戦前期(1940年以前)編(その2)

小松田 精吉※
(工学博士、技術士 建設部門)


A-3 地下水:君島八郎著
大正8年 (1919) 7月23日 発行
昭和9年 (1934) 1月 5 日 (改版)


「地下水」と土質力学
 初版は大正8年であるが、この『原版が関東大震災のために烏有に帰し、その後、帝都その他の復興事業が進んだにも関わらず、学窓多端に忙殺されて、改版の仕事が進まなかった』。そうして、ようやく昭和9年に改版がでたという本である。
 初版から15年間の時のながれの中、テルツアーギ(Terzaghi)の歴史的著書:Erdbaumechanik (1925)「土質力学」が世に出る。改版の「地下水」には、この本の影響が大きく投影されている。別の言い方をすれば、日本の地下水という一分野の専門書にまでテルツアーギの「土質力学」の影響が及んだことを示す一つの証である。
 「地下水」の構成と記述ページ数の割り振りから見てもこの事は明らかである。

テルツアーギ(Terzaghi)「思想」に傾倒
 第2章と第3章はテルツアーギの思想に基づく「土質力学」の紹介で埋められているといって良い。第2章では、粒度組成についてかなり詳しく記述され、土粒子構造などの絵はテルツアーギの原著から直接引用されている。
 第3章では圧密の概念と、土圧論の批判が展開されている。たとえば、圧密については、次のような記述がある。「粘土に圧力を加えれば、其収縮が起こる。但し此収縮には水分の浸出が之に伴い、然かも時間の影響が甚だ多い」と説明し、砂の圧縮性と異なることを強調している。
 地下水の著者は、既往の土圧論について次のような批判を述べている。ある意味で極めて辛辣であるが、冗長となることを恐れず引用してみる。「土圧論の創始者と云うべき是等の研究者は物理学者又は数学家であったが、其後土圧の研究は頓挫して進歩しない。蓋し粘性土壌は其全貌を把握する事が甚だしく困難で、土の凝集力とか、又は粘性を認めながら其牙城を衝く事が出来ず、ただ一般の粉粒として凝集力のない土を取り扱ったに過ぎないから、偶に地下水や其他の水に漬かった土を論ずるにしても所謂土圧即ち粉粒体の圧力と水圧とを良い加減に結付けたのが今日迄の土圧論であって理論と実際とは可なりの間隔があったことは否まれない事実である。」
 これを受けて、「1917年以来、Terzaghiは、凝集力を有せざる砂の弾性の研究を始め新方向の実験を企て、土壌の各種の物理的研究の必要を知らしめた。粗面の摩擦力(始めの摩擦を含む)、毛管水の粘性、毛管水の表面張力及び水自身の物理的性質に及ぼす空隙の大きさの影響なる四大要素は土の物理的性質として研究せられたるものである」。

定まらない地下水の概念
 第5章は「滲透」であるが、地表面から降雨が地下に浸透する状態を念頭に置いているようである。しかし、滲透係数は、Hazenの有効径から求める方法や、Darcyの実験と法則を紹介しており、いま取り扱っている透水係数と同じものである。現代における「不飽和」の概念は全くない。
 第6章の「地下水」は、地下水の帯水状態論である。一種の水文地質学に近い。注目される点を二、三拾ってみよう。第一、帯水層の『帯』を『滞』の字を当てていないことである。「滞水層」と書くのは誤りであると、常に戒めていたのは、今年亡くなられた水文学の大家山本荘毅先生だった。
 第二、「宙水」を当時「狂水」と呼んでいたらしい事である。宙水と云うようになったのは、地下水を専門とする学者たちが、ある酒場で酒を酌み交わしながら「駄洒落」からでた言葉らしい。「狂水」では、「酒」と間違えられてしまう恐れがあるからか、どうかは知らない。
 第三、食塩を用いた地下水の流速を測定する方法を、Thiem(チーム)の食塩法として紹介している。これによる測定結果は過大となることを指摘し、一般に地下水の流速は3〜5m/dだと云っている。この値は流速流向計で測定した値から見ても大きくはずれていない。
 第7章の地下川は、岩盤内の大きな割れ目や、鍾乳洞などの地下空洞を流れる地下水の事のようである。これが第8章の隧道(トンネルのこと)及び坑内湧水へとつながる。

A-4 鉄道省 土質調査委員会報告:鉄道大臣官房研究所
第一輯 昭和 6 年 6 月 (1931年)
第二輯 昭和 7 年10月 (1932年)
第三輯 昭和 9 年 7 月 (1934年)
第四輯 昭和11年 4 月 (1936年)
第五輯 昭和13年 3 月 (1938年)


思い出深い「鉄道技術研究所」のこと
 鉄道大臣官房研究所の所長松縄信太氏を委員長とする「土質調査委員会」が、昭和5年11月21日に設立された。松縄氏は、私が、昭和28年に入学した芝浦工業大学の理事長兼学長をされていた方で、機械工学の権威であった。当時、メートル単位の制定に尽力されていたことを思い出す。
 研究所は、戦後国鉄技術研究所となったが、研究所の地質研究室室長の宮崎政三氏から土木地質学を、土質研究室室長の斎藤迪孝氏から土質力学を学んだ。このような縁で、1年間研究所に通って斎藤先生や、池田俊雄先生から直接ご指導を受けて卒業論文の実験を行った。現在、研究所は「鉄道総研」となったが、ここに優れた研究者たちが集まって活躍され、多くの研究成果が提出されている。

土質調査委員会の方針
 委員会は、次の三つの調査、研究のための常設機関を設けて、活動することを決めている。
  1. 土質科学的調査
  2. 土質調査を基礎とする構造物の設計
  3. 土質調査を基礎とする工事施工法
 さらに、文献、図書を収集する事を取り決め、次のような分類のもとに収集することを決めている。

  1. 基礎科学:数学、物理学、化学、地質学
  2. 土質科学:土壌学、土質力学、土圧論、応用地質学、岩石学、水文学
  3. 土木工学:応用力学、構造工学、施工法、土木工学雑
 今から考えても、いかに意欲的であったかが伺える。

第一輯(1931):壮絶なTerzaghi/ Krynine論争
 第一輯であるためでもあろう、膨大な海外の文献リストが整理されている。最も新しい海外の論文を抄訳して二、三紹介しているが、その中に、「現在、及び将来における基礎工学について」(小松田:抄訳とは少し違う表現にしている)という演題で行ったTerzaghiの講演に対し、D.P.Krynineが意見を述べている。KrynineはK喩lerの論文を引用しながら、基礎の沈下量の予測についてTerzaghiの考え方に反対している。これに対して、Terzaghiは、毒舌と云っても良いような調子で反論している。今更のように、欧州の学問に対する厳しい風土を思い知らされたような気がする。
 スウェーデン国鉄土質調査委員会の報告を紹介している。これは、D.R.Hoffmann(1930)の論文によるものであるが、スウェーデン式サウンディング、ハンドオーガー、ピストンサンプラー、フォールコーン等の調査装置や試験方法を紹介し、その結果による粘土層の滑り解析等を記述している。ここに土質調査方法の源流を見る。

第二輯(1932):山口、安蔵の独創的な研究
 東京帝国大学教授山口昇が、論文「土の剪断抵抗力の測定」を書いている。測定装置は、いわば「直接二面剪断試験機」であって、第一輯に土の剪断抵抗力を測定する装置として取り上げられている我が国における独特の装置である。これから4年後に開催される第一回土質基礎工学国際会議(1936:ハーバード)にこの論文が発表される。
 九州帝国大学助教授安蔵善之輔が、応用関数を用いてCoulomb,Rankine,Boussinesqの土圧式を独自に誘導し、砂の土圧解法を提案している。
 この報告書で注目されるのは、海外の文献紹介で、Hogentoglerらの論文での土質力学を路盤土に適用されている先進的な内容、戦後日本でも取り入れられた土質試験方法 (物理試験)、W.S.Housel(1929)による載荷試験方法とその結果による基礎の沈下量の予測方法などは、我が国の地盤工学の発展に大きく貢献したものばかりである。
 海外文献の紹介でもう一つ、G.Gilboy(1931)の論文「土質力学の研究方法」が注目される。Terzaghiが土質力学の研究をどのような姿勢(理念)で取り組んでいたか、その様子がうかがえる。「Terzaghiは1925年Massachusetts Institute of Technologyの所員となって多くの学者がその指導のもとで土質力学を研究し、大きく発展の道を開いた。研究分野は、大別して1)土質物理学と2)土質力学に分けられている。」・・「土質物理学に関する完全な知識を持つと云うことは人生科学的見地からしても興味あり、且つ価値のあることである。併し、現場技術者に取って常に難しい問題となる事柄に対して何らかの解決案を与えない限り、それは経済的に見て全然価値のないものである。これがDr.Terzaghiの所信で、彼並びにその一派は常に此の真理の下に実験に当たっている。」

第三輯(1934):調査設計の適用事例の蓄積
 全国各地で調査設計が行われた事例報告が満載されている。研究の段階を脱した感がある。しかも、今まで報告書に紹介された様々な手法を素直に適用した成果を報告している点においても、この委員会の権威と技術界に与えた影響の大きさを知る。
 さらに、地質調査方法の新研究として「電気探査法と弾性波探査法」が掲載されている。

第四輯(1936):我が国の新しい土質調査方法
 新しい土質調査方法として登場したのは、コアサンプリングとそれによる地質柱状図の作成である。我が国における「近代土質調査の事始め」と云っても良いであろう。この論文の意気込みは、次の文章でもわかる。
 「地盤の強度の関係するのは、地表面というより、むしろ深所においてであることは明らかである。したがって、茲に極言するならば載荷試験の如きを以て、基礎地盤の支持力を云々するのは、無意味という言葉に尽きるかも知れない。要するに、載荷試験は単なる気休め程度の範囲を出ていない。したがって設計・施工上の有力な資料としては価値に乏しいものと云っても差し支えない。」
 「地下の深所のかなり軟弱な地質といえども、其のコアが欲しいというのが我等の永年の希望であった。」
 図は、この論文に掲載されたコアサンプラー(図1)と土性図(図2)である。土性図は現在のものと殆ど変わりがない。逆に言えば、このような土性図が作成出来るまでに調査方法が発展したことになる。

第五輯(1938):実用化された「圧密理論」
 新しい圧密試験機が制作された事が報告されている。このほかに、室内での「変水位法透水試験器」が紹介されている。
 各地の現場に発生している地盤現象の解明、特に盛土の沈下と滑り、橋梁基礎の沈下などについて報告されている。ここから本格的な「地盤工学」が始まったという印象が強い。
 残念ながら、土質調査委員会報告がこの輯で終わったのか、手元にあるのはここまでである。

・・・次号に続く・・・


図
図1 コアサンプラー
(「鉄道省 土質調査委員会報告」より)


図
図2 土性図
(「鉄道省 土質調査委員会報告」より)


※ 新協地水(株) 代表取締役会長
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