芸予地震被害状況調査団に同行して
地質環境課 阿部 恵美
1.はじめに
3月24日、広島県を中心に中国四国地方を襲った芸予地震の新協建設・地水合同調査団に参加して、広島県に4月11日から14日までの4日間滞在しました。手元にはわずかな資料だけでの広島入りに正直なところ「自分が行ってもなにか役に立つのだろうか」と不安な気持ちを隠せませんでした。新協地水からは谷藤社長、調査課の大泉、そして私の3人が、新協建設工業からは広島支店の増谷支店長、切土主任、大阪支店の猪谷さんの6人で調査団を結成し、広島県の中でも被害状況の大きい呉市へ状況の把握と地盤調査のボランティアを行なうことになりました。
2.呉市について
ここで、私の目からですが、広島県の呉市について少々述べたいと思います。呉市は広島市の南東に位置し、瀬戸内海に面した町です。市になってからの歴史は古く、来年で市制100周年を迎えます。古くは海軍の重要な基地として、そして今でも造船工場が多く存在しています。しかし、地形的な面から見ると、平地の部分はごくわずかで、市街地となっており、住宅地は急斜面の山を切土と盛土で宅地を作ったところに家が密集して建てられています。また、お年寄りの一人暮らしの割合も広島県の中で一番高いとのことでした。そのため、今回の地震で一番被害が大きくなってしまったのかも知れません。
私たちは呉市議会議員の奥田和夫さんの案内で、地盤被害の実情を見るとともに、これからの対策について被害に遭われた住民のみなさんにアドバイスすることになりました。限られた時間で多くの場所を見ることは容易ではありませんでしたが、技術者の卵としてたくさんのことを吸収したいという気持ちのほうが大きかったです。
3.呉市上平原地区
前置きが長くなりましたが、私たちが見てきた地盤的にみた地震被害の状況については以下の通りです。
上平原地区は標高100メートル付近にある住宅地です。福島県に住んでいる私たちからすると想像に絶するような急斜面に家が密集して建てられていることに衝撃を受け、それと同時に周りを見渡してみると呉市の住宅地はほとんどが山の急斜面に作られていることがわかりました。擁壁には亀裂が至るところにみられ、中には盛土の土圧によって、擁壁の石垣が10mm〜20mm程押し出されている所もありました。また、ここでは地山がマサ(風化花崗岩)でしたが、福島でみるマサとくらべると、粒子が大きく粗いようにとられました。
4.伏原神社
前出の上平原から車で10分位の所に位置する伏原神社では呉市でも被害状況の大きくでたところでした。本殿には被害がみられなかったのですが、地割れが大きいので長さ10メートルほどのものも地震直後には見られたそうです。また、本殿の西側の擁壁が大きく何ヶ所も崩壊しているところがみられました。その他に奉納された灯篭の土台がずれていたり、守り石のようなものが地盤の沈下により浮き上がっていたりと地盤の被害が多くみられました。
5.呉市片山地区
ここでは、お年寄りの一人暮らしが多い地区だということであり、なおかつ古くからの住宅地ということもあり、擁壁の亀裂のほかにもブロックの崩壊が多くみられたところでした。中でも、私たちが訪れた家では、擁壁のところに作られていたブロック塀がすべて崩壊という状況を目にしてきました。住人のかたに話をうかがったところ、このブロック塀はれんがを積んで、コンクリートで表面を塗り固めたものだったそうで、鉄筋などの補強はされていませんでした。またこの地区は車も通れない細い道がいくつもあり、反対側は急斜面という所だったので避難するときのルートが限定されているという大きな問題を抱えている地区でもありました。
6.呉市両城地区
両城地区は戦前からの家も多くあり、擁壁も石を積み上げて作られたまるで昔の城の擁壁を思わせるものでした。この地区で一番衝撃的だったのは山の中腹に立っていた家の擁壁崩壊により流れ出た盛土がすぐ下の保育所を直撃して半壊させてしまったということでした。流れ出た土砂を運ぶためには急な階段の所からしかできません。もちろん車も入れません。そのため、階段の上に足場を組んでその上にはった板の上をキャタピラで何十回も往復するといった気の遠くなる作業をしていました。
7.呉市西谷町
新興住宅街である西谷町では地震による直接の被害もあったのですが、それ以前から不同沈下が起こっていた場所と行く前に説明をうけました。
実際に現地に赴いたところ、住民の方々から今回の地震では家が何とか持ち堪えたが、沈下が更に進んだのではないのだろうかといった不安や施工業者に対する不満の声を聞きました。中には基礎を支えるはずの鋼管杭が見える状態になり、杭としての機能を果たしていない位沈下が進んでいる家もあり、地盤調査に携わる者として見逃すわけにはいかない光景を目にしてきました。また、家だけではなく道路も沈下の激しい所がところどころみられ、ひどいところでは4センチ以上沈下していました。
8.今回の調査団に参加して
今回の調査団に同行して痛感したのは「災害に強い地盤づくり、家づくり、そして街づくりがいかに重要であるか」ということでした。それは、残念ながら災害にあわれた方々が「一瞬のうちに起きて、なす術がなかった。そして、いざ修繕したいと思うと個人の力では費用がまかなえない。」という声をたくさん聞いたからです。公的な施設は国や自治体が優先的に支援措置や特別な措置をとりますが、擁壁や私道といったところは個人の物だから個人が負担するべきだといった対応に多くの被災者の方々が落胆していると市議の奥田さんから説明されました。これから、呉市は地震からの復興に取りかかるわけですが、急斜面が多いという地形的な条件や住宅を建てるためには欠かせない擁壁といった呉市独特の街並みが被害の拡大を招いてしまったのならば、どのようにすれば地形的な条件をクリアし、なおかつ災害に強い街になるかというのが復興への大きな課題になると思います。そして、私たちのような技術者がその先頭を歩かなければいけないのだということを改めて考えさせられました。