連 載 
顔写真 地盤工学古書独白 第9回
戦中期(1941年〜1945年)編(その1)
小松田 精吉※
(工学博士、技術士 建設部門)


 近代史研究者たちが、戦中期をどのように区分しているかは知らないが、自分の人生の節目を重ね合わせた至って身勝手な時代区分をすると、どうしても昭和16年(1941)から20年(1945)が戦中期になってしまう。
 昭和16年に学制が変わり、尋常小学校が国民学校に変わった。4月に、私は国民学校初等科第一学年に入学した。12月8日、日本軍国主義者たちは、天皇陛下の命令によってハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争の火蓋が切って落とされた。
 これから「欲しがりません、勝つまでは」の我慢の生活が続いた上、東京をはじめ地方の小都市に至るまで戦火に破壊尽くされ、数百万の人命が抹殺された。そうして、昭和20年8月15日、日本の無条件降伏で戦争が終わった。
 この戦中期に地盤工学の本がどのような形で姿を現したのであろうか。そして地盤工学の脈絡がどのように繋がったのであろうか。この事を抜きにして地盤工学の歴史は語れまいと、一人で熱い思いを募らせている。
 手元にある古書は全部で8冊である。8冊だけかと見るか、8冊もかと見るかは、人それぞれ違うであろうが、私が入手したのは、これが精いっぱいだった。


B-1 土と杭と水(科学新書4)
本間 仁・星埜 和 共著

昭和16年3月16日 発行
河出書房 1円20銭


本の構成
 この本は、現代の新書版を一回り大きくした程のもので、カバーがやや厚紙で、中の紙質も良い。1部と2部に分けて編纂されている。1部では土と基礎問題を扱い正味63ページ、2部は水理学で正味61ページにバランスよく纏めている。
 専門分野から推して1部の記述は星埜和が担当し、2部は本間仁が担当したであろう。ここでは、この中の63ページにまとめた、1部の内容をご紹介する。

皮肉と斬新さ −まえがき−
 まえがきの「土と人生」に、こんな記述が見られる。「我々の遠い祖先が地中に洞窟を穿ち住居した時代があった。・・中略・・・、人智が進むにつれて段々改良が加えられ、土を人工的に練り固め乾燥させて壁や塀を作り、或いは日乾し煉瓦を応用して建築を行うようになった。・・・中略・・・。近年航空機の発達に伴い世界状勢の険悪化を目のあたりにして各国共空襲の脅威から都市を護るため真剣な努力を払いつつあるが、交通機関や油槽その他軍事施設を始めとし漸次都市全体が地下に埋没し、再び太古の穴居時代がそのままに出現しようとする傾向を示すことは誠に皮肉と言わなければならない。」
 言論統制の嵐の中、内務省土木試験所(現土木研究所の前身)の片隅から、ぎりぎりの良心を賭けて発した言葉のように思えてならない。
 著者の星埜和氏は、戦後の地盤工学(土質工学)界を背負った最上武雄と双壁だった。63ページの内容は、自らの研究成果を組み入れた斬新なもので、戦前の本と一線を画するものだと思う。

独自の研究と感性的な説明
 「土の沸化」という今では聞きなれない現象について説明したところがある。これによれば、乾燥した土を水に放置すると、吸収膨張し、最後に崩壊することを「沸化」と言う。実験によって、自然土と人工土の沸化時間と含水比の関係を示している。これは、おそらく著者の研究によるものであると推察される。そして沸化は、「自然の土地が雨水や流水のため侵食される現象と密接な関係があるものと考えられている。」と、付け加えている。
 土の透水性を説明しているところで、ダルシー則について説明した後、自分の研究成果として、透水係数を次の式で表した。

k=a(p-p0二乗


 a:実験で求める係数、p:間隙率、p0:限界間隙率である。土の透水性には限界間隙率が関わるという説は、大変興味深い。
 星埜支持力論が簡単に展開されている。これも斬新である。支持力論については、戦後1冊の本にまとめて出版された。後日、ご紹介できると思う。
 感性的な説明という風に捉えられる点では、

砂・・・・・土の粒子の粗いもの
粘土・・・・土の粒子の微細なもの
沈泥・・・・両者の中間に在るもの

と、記述された個所がある。直感的に分かるような気になる。

突固め試験と築堤への応用
 星埜自身が独自に研究した一つに、土の突固め試験がある。この参考文献に土木試験所報告第55号を上げているが、これとは別に、この本が出版される1年前の昭和15年(1940)の土木学会誌に、突固め試験の論文が発表されている。最大乾燥密度と最適含水比を発見したProcuterの論文は1933年に出た。星埜論文が土木学会誌に出たのは7年後であるが、研究は当然それより前であろうから、Procuterとほぼ同時期に同じようなテーマで研究されていたことになる。
 また、星埜はこの本で突固め試験の結果を築堤施工に取り入れていることを紹介した。同時に、Casagrandeの堤防内における浸透解析法を早くも紹介している点が注目を引く。


B-2 構造土圧論
  Leo Rendulic 著
  田中 豊 校閲
  井口昌平ほか八工学士 共著

昭和17年1月20日 発行
コロナ社 定価2円


若くして他界した秀才
 原著者のRendulicは、1940年11月27日、36歳で逝去した。応用数学と弾性理論領域で学位を得ている。
 彼はウイン工科大学にいたTerzaghiの下で助手を勤めた。1937年以来、鉄筋コンクリート構造学者として、また土の力学研究者として活躍した。本の中でもTerzaghi的思想の影響を受けたと思われる事が随所にほとばしる。
 そして彼は徹底的なナチス党員であったとも記録されている。

田中研究室の若き獅子たち
 田中豊先生から近来まれに見る良書として推薦されたこの本(Der Erddruck im Straben - und Bruckenbau)を、9人の在学生が翻訳した。学生の名を記すと、次のとおりである。
 井口昌平、猪俣俊司、岩永清、栗田喩、蔵中治雄、長山泰介、比留間豊、松原健太郎、森山実の9名である。私は大学で、訳者の一人猪俣俊司氏からPSコンクリート工学の講義を受けた。
 当時訳者たちは、勉学に勤しんだ若き獅子たちの群れだったに違いない。

本の内容 −翻訳書でたったの67ページ−
 67ページの薄っぺらな本である。学生時代に、「本は目方で買うものではない」と恩師の堀越一三先生から窘められたことがあったが、この本を読むと正にそのとおりである。全目次を紹介しておこう。
  1. 砂質土における主動土圧と受動土圧
  2. 擁壁面に沿っての土圧分布
  3. 後退しない擁壁に作用する土圧
  4. 擁壁に及ぼす時間の影響
  5. 土圧の実験的解法
  6. 水面下の土圧
  7. 基礎上における築堤の土圧分布
  8. Mohrの応力表示と限界直線
  9. 築堤の軸に垂直な翼壁に働く土圧
  10. 擁壁及び橋台における土の許容圧力  
  11. 粘性土における土圧


著者の土圧論
 著者は「土圧の実用化」に対して、一つの思想を持っている。この思想を纏めたこの本は、独特の「土圧論」であると見てよいと思う。原著者の序文で思想のポイントが強調されているので、序文の中から紹介する。
 著者は、まずこう述べている。「土圧の現状を基として土圧の問題を統一して叙述しようと」試みた。そして、著者は、多くの文献を羅列して使いやすい部分だけを取り出して、便宜を図ることを、自分の課題だとは思っていない。「私にとっては寧ろ土圧論の根本要素を抽出してきて、土の中に起こる現象への理解力を呼び起こす方が大切だと思った。」
 「すなわち擁壁の運動の方法と大きさの土圧に及ぼす影響についての最近の知識を土圧論の体系の中に織り込んで、而してしばしば信じられるように昔の所謂『古典的土圧論』と近代の知識との間には何ら矛盾も存在しないことを示す事である。」
 そしてEngesserの幾何学的土圧論を紹介するが、「土圧作図法の他の如何なる方法でも斯様に簡単に目的を達することは出来ないであろう。」と断じている。

TerzaghiとEngesserから受けた影響
 著者はTerzaghiの最初の弟子かもしれない。それだけに受けた影響が大きいようである。擁壁面に沿った土圧分布については、Terzaghiが実験を重ねて創出したものだと、文献を挙げて強調している。擁壁の動きによって、決して土圧分布は直線で結ばれる三角形分布にはならないことを説明している。
 擁壁の土圧強さと分布は時間の経過と共に変化する現象についても、Terzaghiの説を導入して説明している。変化に関わる要素はかなり複雑であるが、粘性土の体積変化や裏込めの浸透性、気象の影響などを上げている。
 これらの要素を取り入れた土圧解法に、Engesser(1880)の幾何学的な方法を巧みに適用し、その解法を解説している。
 若くして亡くなったナチス党員の学者であるが故に、彼の土圧論は我々にとって「幻の土圧論」となっている。むしろ「土圧解法論」として、じっくり読み返して見る価値があるように思える。この本を残してくれた、戦時中の若き学徒に心から感謝したい。

≫≫≫ 以下次号に続く ≪≪≪


※ 新協地水(株) 技術顧問(前会長)
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