連 載 
顔写真 地盤工学古書独白 第12回
戦中期(1941年〜1945年)編(その4)
小松田 精吉
(工学博士、技術士 建設部門)


B-6 土質力学 1 −土性論について−
   テルツアーギ著・石井靖丸訳

昭和18年9月30日 発行
常磐書房 4円70銭


近代土質力学誕生の書
 この訳書の原著は、この本によって「近代土質力学」という学問が誕生したと言われる、歴史的著書である。このため、著者Terzaghi(テルツアーギ)は近代土質力学の父と崇められている。因みに、原著名は「Eedbaumechanik auf bodenphysikalisehe Grundlage」であり、訳されたのはこの前半部分である。後半部の訳書はその後、出版されていないようである。残念なことである。
 訳者の石井靖丸は、昭和16年、東大工学部土木工学科を卒業後、内務省土木試験所(現、土木研究所)に勤務していた青年技術者だった。この彼が、訳者の言葉として次のようなことを述べ、早くから土質力学に対する造詣とテルツアーギに対する思いを彷彿させる。「・・Coulombがこの理論を提出した際は、堂々たる大定理のつもりではなかったっと思う。後世の人が祭り上げてしまい、やれ、Coulombの理論は実際とは合わないと悪口を言われても彼は迷惑すると思う。恐らく苦しまぎれにこんな風に考えたらまあ一時はしのげると思って提出したものであろう。・・・・なんと言っても土を物理的基礎に立ってこれを理論的に把握したのは、Terzaghiである。1925年土質力学(Eredbaumechanik)が、彼によって樹立されたと言ってもよい。」

テルツアーギの研究方法
 テルツアーギは、1913年にアメリカ土木学会が創立した「地耐力実用値決定委員会(基礎工委員会)」と、この年にスウェーデンの鉄道事務所がつくった「地すべりの技術地質学的研究委員会」の活動を重視した。
 アメリカの基礎工委員会は、その目的を果たすには成功したとは言えないが、それをきっかけに価値あるいろいろな分野に研究が広がったことを評価している。
 スウエーデンの委員会は、基礎工の一部を取り扱ったに過ぎないが、物理的土壌学(土性論)を用いて研究が進められたことに注目している。
 この本を著わした目的は、土質力学の研究を現象の多面的な条件の媒介によって実験科学的方向に進めることにあった。最初に取り上げた問題は、変形と時間の関係を考慮しつつ、現象の生成とその経過を支配する要素の組織的な分析を(実験的に)行った。これまで土質力学をこのような方法で誰も扱ってこなかった。
 これらの研究で、テルツアーギは土の多くの性質を発見した。たとえば、砂の内部摩擦は一つの面に沿っての摩擦抵抗と空間中の粒子の移動に対する摩擦の二種類があることを捉えた。
 研究方法について、最後にこのように指摘している。「土質力学研究の第一の問題は土の試料の実験に対する研究室の方法を樹立し物理的係数の記述に対する合理的な公式を見出すにある。第二は建造現場における観測結果と実験室における土の研究の計画的総合である。・・・・土質力学上の経験を処理するには、現場の技術者と地質研究者と共同作業が必要である。」

本の構成
 原著は1冊にまとまった本であるが、訳者は意識的に1編と2編に分けている。訳者によると、第1章から第4章までが「土の基本的性質(土性)」、第5章から第6章は土性を基礎とした「土の力学理論」を扱っているとしている。テルツアーギの不朽の功績とされる「圧密沈下」は第4章で扱われている。
 各章のタイトルのみを列記しておくことにしよう。
第1章 土壌の性質
第2章 土壌の摩擦力
第3章 土壌の弾性的性質
第4章 動水理的応力現象
 訳書はここまでであるが、原著をたどると、
第5章 地盤の静的力学
第6章 基礎構造としての地盤
となっている。
 原著の最後に、「付録」として「Wingnerの沈殿方法」と「スウエーデン国有鉄道の技術地質委員会の仕事」のタイトルで解説があるが、これも訳されている。老婆心ながら、技術地質と訳されている用語は、「応用地質」に該当すると考えても良いであろう。



B-7 土壌侵蝕防止の研究
   満国土壌学会ソ連支部・
   ソ連学士院土壌研究所編集
   ソ連学士院土壌研究所編集

昭和18年11月30日 発行
博文館 5円70銭


本の性格
 訳書で558ページに及ぶ分厚い本である。1936年3月4日から7日に至る4日間、土壌侵蝕の防止に関する第一回全連邦協議会が行われ、各機関の研究活動報告の主なものを編集したものである。文章も縦書きに編集されている。
 過去に、メソポタミヤ、ギリシャ、小アジアその他の地において耕地を得るために森林を根こぎしつくした人々は、土地を今日のように荒廃させてしまった。北アメリカ合衆国全面積の二分の一は原生林に覆われ、砂漠は大陸の2.5%を占めていたに過ぎなかったが、「原始的広大な土地」を征服する欲望に駆りたてられて、森林を征服し野牛群を駆逐した結果、アメリカ全土の10.1%が荒廃の地に変わった。こうした認識から、この会議が開催されたようである。

森と水と農業
 ソ連におけるこの種の会議としては珍しく政治的な演説がなく、研究者や大学教授の報告で埋め尽くされている。
 中でも土壌侵蝕防止における森林の役割が、多く強調されている。地形、地質、河川、農業土壌、土壌科学など幅広い分野での研究成果が報告されている。これは、最近の環境問題にもつながる重要な事項であるように思える。

専門馬鹿の反省
 私が扱う地盤工学とは違う分野ではあるが、地盤環境という視点から見ると、これから先、重なりある共通点が多くなるような気がする。今まで余りにも、この方面に関心をもたな過ぎたようで、多いに反省すべきことである。



B-8 土の工学的性質
   ホゲントグラー著
   宇都宮寿夫訳

昭和19年1月20日 初版
昭和28年9月10日 再版
昭和28年9月10日 再版


道路土工の実際から生まれた土質工学
 原著者のホゲントグラーについて紹介できる資料がないのが残念である。訳者も著者を知るに足る解説が行われていない。
 原著者の序には、米国道路局の路盤試験所で行われた試験研究の成果が、報告論文として発表され、それが教科書に纏めらるような段階になったと記述している。少なくとも、これらの仕事に関わった経歴の持ち主であろうことが、容易に想像できる。
 本の内容も近代的な色彩が濃厚であるのに加え、路床、路盤の土質工学について体系的にまとめられている点が特徴である。道路土工から生まれた土質工学といっても良い。これは、先のテルツアーギの本と根本的に違う点である。

多岐にわたる内容を平易に記述
 訳書は訳者の文体や表現にも左右されるが、この訳書は広範な諸問題を扱っているにも関わらず、体系的に整理されており大変読みやすい。
 目立つのは、これまで殆ど取り上げられてこなかった課題の一つに土の凍上問題がある。これを一つの章に仕立て上げ、凍上による被害事例など挙げて相当に詳しく記述されている。沈下問題は、当然圧密理論をとり上げているが、沈下時間を圧密係数(このような用語は使っていないが)で計算する方法を、演習例のように扱って説明している点も新しい。
 第4部「設計と築造」が特に重要である。この部分がこの本の真髄であり、著者の真骨頂と言ったところであろう。まず、土の「統一分類」から始まる。土の締め固め特性は、著者の独特の研究によるものらしく思える。粒度調整法、セメントによる路盤改良、軟弱地盤対策法など先駆的な研究成果を纏め上げている。これだけでも、地盤工学に新風を吹き込んだ貢献度が大きい。

何があったか
 一方においては、極めてアメリカ的実用主義に即した現場の匂いがぷんぷんする教科書である。恐らく現場技術者に歓迎された本であったに違いない。しかし、私の浅学を棚に上げて恥をさらけ出すことを覚悟の上であるが、戦後、著者が発表した論文を知らないし、この本がわが国において引用された例は一、二しか知らない。
 1948年から地盤工学界は、研究の緻密さや技術思想において質量とも様変わりしたように思う。この時代変化の前夜に当たる時期に書かれたこの本は、新しい風を吹き込みながらも、さらに進むテンポの速さにおいて行かれたのではなかろうかと、気がかりに思いふけっている次第である。何があったのか、私には真実が分からないままである。

戦中編を終わるに当たって
 私が持っている、戦時中に発行された地盤工学古書のご紹介は、これで終わりである。8冊しか持っていないのは、やっぱり少ない。
 ご紹介してみて気がついたのであるが、諸外国の訳本が多いことである。8冊中6冊までが訳本である。この訳本は、ドイツ、アメリカ、ソ連、オーストリアと多数の国で発行された著書である。これらの訳本が発行された時期、日本は米英をはじめ世界を相手に無謀な戦争を起こし、国内では極端な外国排除、言論・表現・思想の自由に対する弾圧が強いられた暗黒の時代であった。こう言う時期にどうしてこうした本が世に出現したのであろうか。訳者や出版に関わった人達の口では言い表すことの出来ない困難との闘いがあったのではなかろうか。
 もう2冊は、日本人が自ら筆を取った貴重な著書である。
 訳本といい、日本人の本といい戦前の本と内容において一線を画する新しい体系にまとめられた本ばかりである事にも注目を引く。戦後の日本における地盤工学の飛躍的な発展は、この戦時中の泥をかむような努力の陰で、営々と準備されていたおかげであると、認識を新たにせざるを得ない。歴史の事実は偉大である。




イラスト


次号からは、いよいよ戦後編である。戦後の歴史を画する安保闘争の1960年(昭和35年)までを一つの目安に書き進めて行きたいと思う。
<小松田>

※アートスペース工学(株)代表取締役
 新協地水(株)技術顧問




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