「福島県の湧水」シリーズ掲載にあたって

代表取締役 谷藤 允彦

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小学生の頃、夏の好天が何日も続いているのに、遊び場所になっている川の水嵩が減らないのはなぜだろうと、大変不思議に思ったことがある。父の答えは、『奥山には夏の間も消えずに残る万年雪があっていつでも少しずつ解けているから』というものであった。
 私の故郷は、奥羽山脈の真ん中で、豪雪地帯であり、7月でも家の窓から山懐の残雪を眺めることが出来た。子供の頃は夏の川の源は雪であると信じて疑わなかった。
 また、故郷の村は、総面積の90%以上が山地で、その大部分がブナの原生林を中心とする国有林であった。森の中を流れる小川は、相当な急流であるにもかかわらず、濁った水の流れを見た記憶が無い。村の中央を流れる本流は、大雨が降ると濁流が渦巻き、岩を噛む迫力を見せていたのに対し、そこへ流れ込む支流の水は穏やかに澄んでいて、合流点では濁流と清流の交わる模様が面白く、飽ずに眺めていたものである。
 後年になって、川の源が湧水であり、湧水を涵養するのが雪と森林であることを知る事になった。湧水への思いが子供時代の体験と重なり、自然の営みの不思議さと大きさをあらためて考えさせられ、感慨深いものがある。


として地表に降った水は、地形勾配に沿って斜面を流れ下り、表流水として河川を形成する。我が国のように幅が狭く急峻な地形の国土にあっては、地表に到達した雨が、河川を通って海に到達するまでの時間はごく短く、長くても数日、短い場合は数時間程度であろう。河川の表流水のうち、降水によって直接涵養されるのは、降水があってから数時間から数日程度であって、その涵養源のうち、最も重要な役割を果たすのが地下水で地表に湧出する『湧水』なのである。


地下水と表流水の最も大きな違いは流動速度である。表流水は毎秒10cm〜数m程度であるのに対し、地下水は毎日数cm〜数10m程度であり、数万分の1の流動速度に過ぎない。
 河川の最上流部・源流地域においては、降雨→地下浸透→地下水流動→湧水→表流水というサイクルが活発に行われている。地下水としての流動距離は一般に比較的短いので、この1サイクルに要する時間も数日〜数100日程度のものが多いと思われる。このことが雨が無くても川の水が涸れない原因となっているのである。
 積雪が多い場所では、解けきるまで毎日少しずつ融雪水が地下水を涵養する事になり、無積雪地帯に比べると地下水の涵養条件は格段に良いことになる。また、森林は腐葉土が降雨を貯留する天然のダムの役割を果たすだけでなく、透水性の良い表土を保持する事により、表流水としての流出を抑制して地下水を涵養する上で重要な役割を果たす。
 源流部で積雪量が多く、森林が保全されている流域ほど、涵養が活発に行われて、洪水流出が少なく、表流水の流量が安定しているのは当然である。
 我々が通常川の水と呼んでいるのは、その大部分は、地下水が湧水となって地表に現れて流れているものであって、雨そのものが直接川の水を潤しているわけではないのである。この意味では川の源は湧水であり、湧水を守ることは河川環境を守る事と同意義であるといって良い。


かつて多くの湧水は飲料水や生活用水、灌漑用水としての地域の人々の生活に無くてはならないものであった。水道が普及し、ダムと灌漑用水路が整備されるにつれて、人々の利用する水のほとんどが人工的に運ばれるようになった。この結果、湧水が生活に直接役立つということが少なくなり、湧水に関する関心が薄れてきたように思われる。豊かさを求める人間の行為が、湧水の恵みを目に見えないように隠してしまったのである、目先の豊かさを追求する無秩序な開発行為が、湧水を枯渇させたり水質を悪化させているが、湧水への関心が無ければ、こうした湧水の変化に気づかないし、気づかないことが更に湧水の環境を悪化させているといって良い。
 湧水の枯渇や水質悪化は、自然環境の悪化の重要な指標の一つであり、私達は湧水の変化を通して自然環境の変化を読みとることが出来る。
 自然環境を守るということは、まず関心を持つことから始まるとよく言われるが、自然の恵みの象徴の一つとして、湧水への関心を持つ人が多くなれば、環境を守る力の一助にも成るものと考えている。幸いなことに、最近はおいしい水・安全な水を求めて湧水へ関心が高まってきたように感じられる。著名な湧水には、ポリタンクを持って水を汲みに集まる車の行列が出来るということも珍しくない光景である。
 湧泉の周辺を公園として整備したり、水汲み場としてきれいにしたり、という場所も多く見受けられるようになった。このことは湧水を保護し、人と自然のふれあいの場を作るという意味で歓迎すべき事ではあるが、あまりきれいに整備されると、湧水の本来持っている親しみやすさが失われ、冷たいありきたりの光景になってしまって、がっかりさせられるということもある。


『土と水』が新しく取り上げる、『福島の湧水シリーズ』では、各地に残るあまり知られていない、そしてなるべく手付かずの湧水を紹介してみたいと思う。湧水の湧出機構や水質、発見にまつわる言い伝えなどもなるべく調査し、湧水に対する親しみを感じてもらえるようなシリーズにしようと考える次第である。
 県内各地にある貴重な湧水について、その発見や利用についてのエピソードなど、湧水にまつわる情報を編集部宛に寄せていただければ幸いである。